瑞陰英輔 (みずかげえいすけ)

【分類】 [登場人物・神] [総門谷]
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(1) 44歳。E2の代表者。淳二の叔父。数年前まで新聞社に籍を置いていた。




瑞陰俊悦 (みずかげしゅんえつ)

【分類】 [登場人物・神] [総門谷]
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(1) 英輔の父。70歳過ぎ。書斎は十畳の和室。




瑞陰淳二 (みずかげじゅんじ)

【分類】 [登場人物・神] [総門谷]
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(1) 今春大学を出たばかりの23歳。E2の社員。人懐っこい。明るい声。スカイラインを運転。煙草はキャビン。自宅は上石神井。駅から15分。




瑞陰麻有 (みずかげまゆ)

【分類】 [登場人物・神] [総門谷]
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(1) 淳二の妹。目白にある大学に通っている。フランス語が話せる。




瑞陰良介 (みずかげりょうすけ)

【分類】 [登場人物・神] [総門谷]
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(1) 淳二と麻有の父。英輔の兄。武蔵野大学でドイツ語を教えている。




道嶋大楯 (みちしまのおおたて)

【分類】 [登場人物・神] [火怨]
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(1) ?-780

牡鹿郡大領。嶋足の弟。

780(宝亀11)年、伊治城にて、鮮麻呂によって紀広純とともに殺される。




道嶋嶋足 (みちしまのしまたり)

【分類】 [登場人物・神] [火怨]
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(1) ?-783(延暦2)

奈良後期の武将。

陸奥国牡鹿郡の出身者で、中央大官になり、一族あげて陸奥経営に大功があり、古代史上、例外をなす人である。
はじめ丸子氏、次いで牡鹿連となる。大楯の兄。
「体貌雄壮、志気驍武」といわれ、馳射をよくした。

757(天平宝字1)年、橘奈良麻呂の変で主謀者のひとりとされた賀茂角足に請われ、高麗福信らとともに額田部の宅に酒を飲むと伝えられる。このころ従七位上授刀将曹に任ぜられていた。
764(天平宝字8)年、恵美押勝の乱にさいし将監坂上苅田麻呂とともに、詔を奉じて疾く馳せ、恵美訓儒麻呂を射殺した。この功により、従四位下勲二等、姓宿禰を賜り、授刀少将兼相模守となった。
翌年(天平神護1)中将に転じ、本姓を改めて道嶋宿禰となる。
その後正四位上までのぼり、内厩頭、下総守、播磨守を兼任した。
この間、767年(神護景雲1)陸奥大国造に任じ、その功田20町は、大功田に准じている。

(2) 770年当時、正四位近衛中将。



美土代町 (みとしろちょう)

【分類】 [地名・住所] [総門谷]
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(1) E2の会社のある場所。




皆神山 (みなかみやま)

【分類】 [SF・伝奇・ホラー] [山] [総門谷] [竜の柩]
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(1) 長野県松代盆地の中央に聳える、周囲4.5km、底辺の長さ1.45km、標高679mの山。この山が注目されたのは、1965年8月から約3年間続いた松代群発地震で、有感地震の数は1970年まで六万回を数えた。初期の震源地がほとんど皆神山の真下3〜5kmで、火山活動と直接の関係は認められない。皆神山には、第二次大戦末期に建設された大本営の地下壕があり、一部は気象庁の地震観測所として利用されている。通産省の地質調査所の調査では、皆神山の中心部で若干重力が少ないことが解っている。皆神山の地下には縦3km、横1.6km、深さ400mの楕円形空間が存在する、という説があり、そのため皆神山の中心部は大きく陥没しているとも言われている。 また、別の地質調査では、水源、水脈が存在しないことと、強固な岩盤がなく、もろい岩石や土砂で構成されていることが解っている。


(2) 昭和59年に『サンデー毎日』が行った「大追跡日本のピラミッド」によって、ピラミッドではないかと一挙に知名度を高めた。皆神山の麓に玉依毘売神社があることを根拠として、山田久延彦氏が『真説・古事記』で東海出雲説を展開し、皆神山を超古代に反重力工法によって造られた人工のピラミッドだとした。



(3) 皆神山の中腹には横穴式古墳があり、突き当りの天井岩が斜め下に繋がるように45度も傾斜している。週刊誌の調査の際に、石組みの奥にタバコの煙が吸い込まれ、岩の奥に道があるのではないかと騒がれたが、定常振動法という探査では空洞や巨石はないと結論された。

大正初期に『天照大御神』の墓石が発見されて、皆神山を中心にして『高天が原』があったと騒がれた時に、この古墳が天照大神の岩戸隠れをした洞窟ではないかと言われたことがある。皆神山の名前も、岩戸隠れの際に神々が集まって来たためと説明されている。


(4) 虹人は、古文献に皆神山の伝承が残っていないことから、ピラミッド説に関しては半々と考えている。
(『竜の柩』)