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神は小子(ちいさこ)なり


『竜の柩』では、神の正体が小人タイプのエイリアンであることが論証されている。
驚くべきことに、神が小人もしくは童の姿をしていたということは、『記紀』に語られる少名毘古那神(すくなひこなのかみ)以外にも、日本の文献や伝承の中に認めることができる。
『日本霊異記(りょういき)』にはつぎのような説話がある。敏達(びたつ)天皇の御世、尾張の国で、男が農作業をしていると小雨が降って来た。そこで木の下に隠れると、雷が鳴った。恐れ驚いて、持っていた金の杖を捧げて立っていると、雷が彼の前に堕ちて、「小子(ちいさこ)と成りて随(したが)ひ伏す」と記されている。つまり、雷神の正体は"小子"であったという。
宇佐八幡の『託宣(たくせん)集』の中では、八幡神が三歳の童子の姿で竹の葉の上に示現(じげん)したことが述べてある。谷川健一氏は、新羅の巫王(ふおう)で鍛冶神でもある脱解(だっかい)もまた、小童として箱の中から出現したことを挙げ、八幡神との関連を示唆している。
また、広島県甲奴(こうぬ)郡甲奴町小童(ひち)に鎮座する須佐神社には、次のような由来が伝えられている。宝亀五年(七七四)四月、天下に疫病が蔓延した時、小童があらわれて「我は須佐之男命の化身である。当地は昔から自神の鎮座の地であるが、年積りて祭祀もすたれ、祀る人もないのが甚だ残念だ。今復活して我を祀るならば、この里人等は悪病に悩まされることは無いだろう」と託宣したとある。
さらに、文献の中でも超一級として扱われている『日本書紀』も、黄泉の国から逃げ帰った伊邪那美命(いざなみのみこと)が禊(みそぎ)をした際に生まれた海神を、底津小童命(そこつわたつみのみこと)、中津小童命(なかつわたつみのみこと)、表津小童命(うわつわたつみのみこと)と記している。つまり、海神=小童であるということになる。
古来、聖なるものが小さな姿で現れると信じられてきた理由としては、小ヘビが偉大な神としてあがめられた動物崇拝のなごり、または小柄な民族への畏怖から生まれたとなどということが言われているが、どれも説得性に欠ける。小子あるいは小童という言葉は、神の姿をそのまま表したものと考えたほうが、はるかに合理的解釈であるように思える。
文献や伝承の中に垣間見える神の姿は、『竜の柩』で示された"神=小人型エイリアン"という仮説の正しさを裏付けているといえる。

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