文学サロン「澁澤龍彦との出会い」 〜或いは高橋先生赤裸々語録〜




11/4(日)ぴーかん。


高速バスで仙台へ。
朝早かったせいか、車内で予習するつもりがガン寝タイムに。
まぁ・・・寝ちゃったものはしょうがないっすね〜。
てか
とてもじゃないけど付け焼刃でどーにかなるお方ではありますまい。
ってことで安心して(笑)惰眠を貪ります。

会場は仙台文学館。
駅前からバスで約30分といったところですか。
すぐそばを大通りが走っているのが信じられないほど静かなたたずまいです。
玄関までのアプローチもすごく素敵。
何といいますか・・・文学的とでもいいましょうか(笑)。


先生、声のトーンが明らかに違いますね。
ふつー(?)の講演会のともポップス関連(爆)のとも違う。絶対違う。
語りたいことがたくさんあって、もどかしくてたまらないといった印象でした。
ホントお好きなんですねぇ、澁澤が。
これだけ好きだと人前で言ったことはないのでは・・・とおっしゃいますが、確かに。

自分にとって、まさしく神であった。
存在が大きすぎて、逆に日常生活まで思いがいかなかった。
そんなにまで神様でいてほしい人の、今は年齢を超えてしまった。
サロンが始まる前に特別展をご覧になったという先生、私たちより一足早く澁澤ワールドに
身をひたしていらっしゃるようです。
とにかくですね、好き過ぎて
「ひたすらすげぇなーすげぇなーと読んでいるだけだった」
いやはや先生らしい^^;
「澁澤さんから派生して、いろいろな人の本を読むようになった。ここまで感化されたのは
多分乱歩に次いで二人目」
「総門谷なんかはすごく影響された。特にヴランヴィリエ侯爵夫人の件」
「たとえば研究者は論文の典拠を明らかにするけどね。作家はその点しない。
想像力を駆使したような顔をしている」
なるほど。
だから今までバレなかったのですね。

「あがた森魚くんにしてもミコちゃんにしても、会って友達になるとどうしても尊敬の念が薄れる。
だから会わなかった」
澁澤への尽きないリスペクトと熱情。
話題はそれらと、小説に取り組む際の姿勢という普遍的な題材の間を行き交いつつ
進みました。
「『高岳親王航海記』を読んだ時は驚いたね。これはもう、幻想文学の全く新しい文体」
「ひとつのジャンルを確立した人が、最後に選んだのが小説だった」
「これを今読んだとしても、彼の想いは若い人に伝わっているだろうか」
「僕たちの若い頃は、知らないということは恥だった。その場で何とかごまかして、家に帰って
必死で調べて、次の日は端から知っていたようなフリをしていた」
中学生の時には「悪徳の栄え」を学校へ持っていって見せびらかしたこともあるそうです。
「今の人は違う。知らないことは興味ないことだと簡単に捨ててしまえる。
そういう人たちを相手にするのは大変なこと」
「小説は子供の読み物じゃないといっても、結局は子供の読み物になってしまっている。
H野K吾とかM部Mゆきとか。
澁澤さんがあと数年生きていてくれたら、小説は子供のものじゃないんだと胸を張れたかもしれない」
「(澁澤は)どんな文章を書いていても品がある。
あれだけグロテスクな図柄を載せているのに、それに打ち勝って清冽なんだよ」

「小説を書くというのは、結局は心を磨く行為であるんだな」


意外・・・といっては失礼ですが、澁澤は東北の地を大変愛していたそうで
殊に平泉の金色堂と会津のさざえ堂は造詣深かったとか。
「分かるよ。どちらも模型好きにはたまらない」
暗黒舞踏の第一人者土方巽、哀愁の漂泊詩人寺山修司、どちらも東北出身である
彼等との交流もあったそうです。
「土方さんや寺山さんは土着性のあった人たち。澁澤さんから一番離れたところにいた。
だから(澁澤も)安心して委ねられた」
「影響されすぎて、どこからどこまでが自分の趣味なのかわからない。
東北シリーズを書き始めて、初めて自分の味付けができたような気がする」

「しかし・・・若い人が(澁澤を)読んでるとなると、これからが書きづらいなぁ(笑)」


サロンが終わってから、私も特別展を拝見しました。
これを見ただけで彼の凄さ・大きさが分かるだろうなんてとても思いはしませんでしたが・・・
ホントとてつもない人だったのだなぁということだけは薄々と。
「小説というのは、形は決まっていてもあたる光の角度で全然違って見える生き物」
と先生はおっしゃっていましたが、そんな生き物に文学界の怪物たる澁澤がたどり着いたのは
後から考えれば彼の人生の終盤と呼ばざるを得ない時期だったのが、つくづく残念だと想います。

三島由紀夫をはじめとする様々な著名人との書簡、膨大な量のうちほんの一握りであろう原稿。
それらには当然、澁澤の署名があります。
「澁澤龍彦」
何の気なしに眺めていて、ふと気づきました。
の字が、先生の書いてくださるサインのとめちゃそっくりということに。