「どうして行こうと思ったの?」
「いや…行けるものかなぁと思って」


『アテルイが現代に生きていたら』というお題だったはずのトークショー

7/31(日)トークショー

何となく想像はできましたが
やはりスタートは東日本大震災の話題からでした。

福島第一原発の立ち入り禁止区域に潜入(?)してきたと仰るアラマタ氏。
<知の巨人に対して傲岸極まりないですが、この表記好きなのです>
それを聞いて目を見張る先生。
冒頭の会話はその時のものです。
「道路(の中央)はバリケード封鎖されているんだけど、その脇はノーガードだからさ」

石巻では、津波で流された夥しい墓石が潮流の影響で一箇所に集まり、まるでそこが
元から墓地のようだと錯覚してしまうような所があるのだそうで
「阪神大震災の後、三ノ宮に行った時は、自然というのは一番弱い部分を狙ってくるのだと
倒壊した建物を見て思った。だけど、今回石巻に行って思ったのは、人間が完璧に防いだ上を
自然はいくのだな、と」

先生も震災から2ヵ月を経過して、ようやく
「見ておかねば」
という気持ちになられたとのこと。
車で出かけられたのですが、運転手の方はどうしても最短ルートを走ろうとしない。
その理由は…
ここでは述べませんがとても切ないお話でした。

考えさせられる内容の話題が30分近くありましたか。
今日はこのまま本題に入らず終わるんだなぁ…と、こちらも腹括ったあたりで
ようやくアラマタ氏が口を切ってくださいました。


「どーーーーーーーしても話すことがなくなったら
 『もしアテルイが世界旅行をしたらというのもありだと某氏に言われた(笑)」
そうですが(『龍馬伝』の観すぎぢゃないのか)
その際参考にと手渡された座のパンプをご覧になって至極驚かれたとのこと。
つまり


「(アテルイ役を演じるのが)本さんと言うのか!」


さすが。

そこ突っ込みますか。
「しかも聞けば本名だって言うし」


「蝦夷の頭領を(西の蝦夷を表わす)という字のつく役者さんが演じるなんて
願ってどうにかなるもんじゃない。これってすごいことだよ」
「この人に隈取りやってもらったら(鹿島神宮にある)悪路王と同じ顔になるよ


ならねぇよ


このアラマタ氏の発言を楽屋のモニターで見ていた役者さんたちは大爆笑だったとか。
そりゃあねぇ…
あたしゃ「火の鳥」の時の茜丸のメイクで既に怖かったからもう結構なんですけど。
そもそも骨格からしてそんなに似ているとは思えないし…
処刑場のシーンだってあんなお顔はしていないしさ。

でもでも、です。

何の気なしに語ったようでいてこの部分、お見事な前フリでございました。
その後のお話は、想像以上にリアルな悪路王(アテルイ)の伝承に関するものだったのです。


「茨城のとある鹿嶋神社(神宮ではない)で、悪路王のものと伝わる頭形の鎮魂を
今も毎年欠かさずしているんですよ
はい?

何それ。


落ち武者のようなサンバラ髪で憤怒の形相をした木彫なのだそうです。
その頭形を祀るのに、現在でこそ神社の祭事となっていますが、元は水戸家歴代の当主が
直々に執り行っていたのだそうな。
アラマタ氏は
「(転封以前の)佐竹家もやっていたと思う」
と仰る。
それって要は

連綿と受け継がれているって話なわけですか。


曰ありすぎ、と思っちまいますが。



とても興味をひかれたので、帰宅してからザクッと調べて見ました。
茨城県東茨城郡城里町高久にある鹿嶋神社がそれで、件の首は町の文化財に指定され
歴史館に保管されており、本殿に安置されているのはレプリカということです。
しかも大変興味深いことに、アラマタ氏はおっしゃいませんでしたが
元々の元々に納められていたのはホントの、つまりはナマの首級だったとか…。

それはかなりすごくないすか。


地元の言い伝えによれば、達谷窟で処刑されたアテルイ…ぢゃない、悪路王の首級を携えて
帰京の途についた田村麻呂が、嘗て戦勝祈願をしたこの神社に納めたということ。
それがいつしか木像(っていうのかな)に置き換わっていた、と。
まぁそういうあらすじでございます。

先生もかなり興味を持たれたようで
「もしアテルイを慕うという気持ちだけならね、塚を拵えたりすると思うんだよね普通は。
それが首というのは、明らかに依代だよ」

ですよね。
偲ぶ縁としてなら、それこそ「アテルイ」中のセリフではないですが
髪の毛などでもいいはずですもの。
それをわざわざ作るというのは…
しかもそのリアルさは生半可なものではないのです。


史実では都まで連行され、日をおかずして処刑されたアテルイの首級が
いかに田村麻呂ゆかりの場所とはいえ、こうも遠くに祀られているというのは
かなり示唆に富んでいますね。
伝承のとおりならば祀ったのは田村麻呂自身、なのかな?
もし都まで無事(?)連れていかれたのなら、その後何が起きたのかすごく気になる。


先生。
ここいらあたりを何とか…


蛇足ですが、佐竹氏が常陸に勢力伸ばしたのは平安の後期です。
<蛇足の蛇足ですが、確か清衡の娘を嫁にもらってるはずです>
アテルイが処刑されて300年は経ってます。
てことは、だ。
佐竹以前はどうしてたんだ…


先生。
(以下略)


興味のある方は是非ご覧になってみてください。
悪路王頭形で検索すればヒットします。
かなぁり強烈…というより、開くリンクによってはいきなりドあっぷと目が合うので

結構ビックリします(笑)


しかし先生もアラマタ氏も心底こういう方面お好きなのですね。
先生、思いっきりお体乗り出してましたし。
お顔もそーとー輝いてらして
そりゃそーか。
何てったってお二方は

タタリ業界の巨頭(命名:先生)

ですものね^^;


昨年の啄木祭の時も思いましたが、このテの話題であってもなくても
何と言いますか、会話がとても自然に感じられるのです。
これはもう、恒例にしていただきたい。
そう本気で願う中身の濃いトークショーでした…

え?


『アテルイが現代に生きていたら』は?


それは…


秋田魁新報の記事でどうぞ、ハイ(;^^A


 「アテルイ」

みちのく長編連作の掉尾を飾る…はずであった
土方歳三を主人公とする物語を、
80枚書いた時点で先生はおやめになったそうです。
それは文字通り、「土方を主人公とする」のをやめたということで
すぐ傍にいた若者の視線を通して描く、というようになさるとのこと。

理由として先生が仰ったのは
「今の若い人達は英雄を求めてはいず、側近のタイプに自己を投影している」
から。

そのお話を伺って真っ先に脳裡に浮かんだのが今の「アテルイ」でした。

先生のご意思を知っているかは別として
巧まずしてそれが具現化されたのだなぁ、と。


前回のアテルイは、有無を言わせぬ存在感と抜群の器量を持った、
徹頭徹尾頭領であり続けたアテルイでした。
だからこそ、脇を固める蝦夷の面々も
一筋縄ではいかない…といえば聞こえいいですが、裏を返せば
相当にアクの強い連中だった、というより
であることができた、のだったかもしれません。

では今のアテルイは。

初めから頭抜けた統率力があるようには、到底見えない。
代わりに滲み出ているのは、18歳という幼さから来る直情径行な性分です。
でも周りには、そんな若造に身を委ねた猛者達が顔を揃えていました。
この、連中の心の繋がりはかなりの見どころ。
声高に語るでもなく、大げさに何かをしでかすでもなく
しかしひとつひとつの仕草や表情から窺えてしまう結束力の強さは
そのまま蝦夷が抱いていた夢の大きさなのだと、
夢が大きいからこそ日高見川の場面の辛さが増すのだと、
深い感慨がありました。
そして先生が仰るとおり、今の若者が突出した英雄像に興味を示さないのなら
正しく今のアテルイは、現代の世相をどこかしら映しとっているのかもしれません。


舞台上に、「いつか見た」蝦夷はひとりとしていない。
だから
「あの時の感動をもう一度」とお望みの方がいらっしゃるなら
多分ご覧にならないほうがいい。
これは決して再演ではなく、新たな「アテルイ」なのだとしか私には思えず
であるからこそ、拝見する度の発見が面白く
荒野を駆け巡る連中に、何度でも会いたいと考えてしまうのです。



建速素戔嗚拝