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『時宗』
巻の壱 乱星 巻の弐 連星 巻の参 震星 巻の四 戦星 寛元4(1246)年三月、20歳の時頼が、病床に有る兄の執権経時より深夜の呼び出しを受けるところから物語は始まります。 連載SUBTITLE
第一回/激動の鎌倉時代を生きた北条の熱き男たち 第二回/鎌倉と京都の対立は、北条一族の固い結束を揺るがす 第三回/時頼の執権就任で、北条一族内の対立は決定的となる 第四回/兄・経時危篤の報に、時頼は急ぎ駆け付けるが 第五回/強大な反執権勢力に対し、時頼は大きな賭けに出る 第六回/窮地を脱した青年執権・時頼は一気に攻勢に転じる 第七回/時頼の策は徐々に、反執権勢力を追いつめていく 第八回/危機を脱した時頼は、三浦一族との大勝負に出る 第九回/三浦との対決を控えた時頼の前に、意外な人物が 第十回/北条時頼は、ついに三浦一族との全面対決を迎える 第十一回/北条時頼の奇策は、動揺する三浦一族を追い込む 第十二回/北条時頼と三浦一族との最終戦は、壮絶な結末に 第十三回/日本の命運を握る一人の男が、この世に生を享ける 第十四回/正寿丸の誕生にわく北条一族に、新たな確執が生まれる 連載十三回までのあらすじ
奥州藤原氏を平泉に攻めた頼朝が開いた鎌倉幕府。
その源氏将軍も三代で途絶え、京都から迎えた藤原頼経が四代、頼経の子の頼嗣が五代将軍となるが、幕府の実権は代々執権を務める北条氏の手に移っていた。
寛元四(1246)年三月、北条時頼は四代執権である兄の経時に密かに呼び出しを受け、一族の北条政村や朝直も同席する場で次の執権に指名される。 経時はさらに、自分の原因不明の病気が何者かに盛られた毒のせいだと語り、背後には経時に引退させられて今は大殿と呼ばれる前将軍頼経や、現体制に不満を持つ北条一族の名越光時らがいることを話す。 一度は執権就任を固辞した時頼だが、それを聞き、兄に代わって得宗家を継ぎ、一族の棟梁となるべく決意をする。 経時は将軍頼嗣を御所から自分の屋敷へ移し、将軍の口から時頼の執権就任を発表させるという策で、光時らの反対派を封じ込めた。 しかし執権の交代が北条一族の主立った者や評定衆に伝えられると、頼経や光時、それに評定衆の一部が敵対する動きを見せ始める。 その勢力は予想外に大きく、もはや衝突は避けられない事態となりつつあった。 経時の死でその対立は決定的となり、鎌倉は一触即発の危機を迎えた。 しかし、鎌倉に集結した関東一円の武士団を味方につけ、安達一族の武力を誇示することで敵対勢力を沈黙させるなど、時頼の起死回生の策がことごとく成功して逆に優位に立ったことで、鎌倉での全面衝突の危機はとりあえず回避された。 光時の弟・時幸は自害し、大殿のもくろみは崩れた。ただ、強大な武力を保有する三浦一族の脅威は、依然として残されたままだった。 その後、時頼は一族の実時や政村らと、三浦が博多の地で宋の商人と深い関係にあることに目をつけ策を練る。 鎌倉では天変地異が頻発。さらに時頼の妹で将軍の妻である檜皮姫の病状が悪化し、鎌倉は騒然となった。 そんなとき、三浦と親密な関係にある宋の商人、謝国明の息子太郎が現われ、時頼に蒙古の強さを語る。 5月、時頼の妹で将軍に嫁いでいる檜皮姫も毒のために息を引き取り、三浦氏との全面対決を迎えた。三浦氏の本拠に単身乗り込み先手を打った時頼は、三浦泰村・光村兄弟の分断に成功、安達一族を交えた綿密な作戦も功を奏し、一気に戦さの主導権を握り、最後の決戦に出た。 三浦一族を激闘の果てに滅ぼして四年が過ぎた。時頼が、新たに打ち出したさまざまな政策で組織も安定し、磐石の体制となっていた。 建長二年五月半ば。日本の命運を握る一人の男がこの世に生を享ける。その頃、時頼は、身内ともいえる足利氏の動向が気懸かりであった。 |
北条時頼 | 20歳 | 鎌倉一の弓の腕を持ち、頭も働く。出家を望んでいたが兄経時の跡を継いで五代執権となる。歳が近い泰盛と仲が良い。背が高く、強靭な意志が込められている顔をしている。 |
北条経時 | 23歳 | 時頼の兄。四代執権。 |
安達泰盛 | 16歳 | 時頼の従弟。武勇に優れる。 |
藤原(九条)頼経(大殿) | 29歳 | 第4代将軍。経時によって更迭され、将軍職を子の頼嗣に譲った。翌年出家して大殿と呼ばれるも、なお隠然たる勢力を持っていた。 |
藤原(九条)頼嗣 | 8歳 | 第5代将軍。頼経の子。 |
諏訪盛重 | 得宗家の家令。宝寿丸(後の時輔)の守り役。 | |
尾藤景氏 | 得宗家の家令。 | |
北条朝直 | 41歳 | 時房の子。(時頼から見れば、祖父泰時の従弟) |
北条政村 | 42歳 | 義時の子。(時頼から見れば、祖父泰時の弟) |
安達義景 | 時頼の伯父。泰盛の父。評定衆の一人。 | |
金沢実時 | 23歳 | 時頼の父の従弟。時頼は「兄さま」と呼ぶ。書物好き。温厚。政村の娘を妻としている。 |
母(松下禅尼) | 経時・時頼・檜皮の母。安達景盛の娘。 | |
北条重時 | 49歳 | 義時の子。(時頼から見れば、祖父泰時の弟)六波羅探題北方。 |
名越光時 | 40歳過ぎ | 朝時の長男。(時頼から見れば、父時氏の従兄弟) |
檜皮 | 17歳 | 時頼の妹。将軍頼嗣の室。 |
桂子 | 32歳 | 時頼の叔母。光時の室。(初め朝直の室だった。) |
名越時幸 | 光時の弟 | |
名越教時 | 光時・時章の弟。(後でも重要になるので覚えておいてね) | |
三浦光村 | 泰村の弟。評定衆の一人。 | |
三浦泰村 | 評定衆の長老格 | |
藤原定員 | 頼経の近侍 | |
千葉秀胤 | 評定衆の一人。上総が本拠地。 | |
藤原為佐 | 評定衆の一人。 | |
後藤基綱 | 66歳 | 評定衆の最長老 |
毛利忠成 | 評定衆の一人。 | |
三善康持 | 評定衆の一人。光時や光村と同年代。 | |
名越時章 | 光時のすぐ下の弟。思慮深く穏やかな性分で光時とそりが合わない。(後でも重要になるので覚えておいてね) | |
名越時長 | 光時の弟。 | |
名越時兼 | 光時の弟。 | |
安達景盛 | 義景の父。出家して高野山にいる。 | |
関政泰 | 下総の御家人。 | |
春日部実景 | 武蔵の御家人。 | |
宇都宮時綱 | 下野の御家人。 | |
毛利季光 | 大江広元の子。三浦泰村の妹を妻に持つ。涼子の父。相模を本拠地とす。 | |
三浦常村 | 三浦泰村や光村の甥。筑前にある小呂島の預所の代官。 | |
涼子 | 毛利季光の末娘。重時の養女となり時頼に嫁ぐ。時宗の母。 | |
佐原盛時 | 盛連の子。母は三浦泰村の妹。時氏の異父兄弟。 | |
謝国明 | 宋人。小呂島の地頭。小呂島を拠点として大掛かりな貿易を行い巨利を得ている。 | |
謝太郎 | 26歳 | 謝国明の子。博多で生まれる。母は日本人。大胆な男。膂力がある。 |
平盛綱 | 得宗家の家令。三浦への和議の使者。 | |
隆弁 | 鶴岡八幡宮の別当。時宗誕生を予言。 | |
讃岐 | 時頼の側室。宝寿丸(後の時輔)の母。 | |
宝寿丸(後の時輔) | 時頼の長男。母は側室、讃岐。 | |
足利泰氏 | 足利氏の五代目棟梁。祖母は政子の妹。妻は時頼の妹。 | |
正寿丸(後の時宗) | 時頼の次男。母は正室、涼子。 | |
九条道家 | 前の摂政。第4代将軍、頼経(大殿)の父。第五代将軍、頼嗣の祖父。 | |
桔梗 | 足利秦氏の前妻。名越の血筋。家氏の母。気性が荒い。 | |
足利家氏 | 16、7才 | 足利秦氏の子。母は桔梗。弓の名手。気性が荒い。将軍、頼嗣と気が合う。 |
足利利氏 | 足利泰氏の子。時頼の甥に当たる。 | |
足利義氏 | 母は政子の妹。妻は泰時の娘。足利泰氏の父。隠居している。 |
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