私は江戸時代から続く唯一の版元の伊場仙の14代目です。 昨今取り上げられるようになった当店出版の歌川国芳の「源頼光土蜘蛛妖怪図」について弊店で代々伝わっている奇妙な言い伝えがあります。それは「あの絵はお上の依頼によって出版されたもの」との内容です。 当店は慶長年間徳川家康と共に江戸に入府し、江戸で店を開いた所謂「御用商人」で、現在まで徳川家とは親密な関係にあります。昨年この言い伝えについて徳川家の方にお聞きしたところ、「物証はないが、あながち間違いでは無いかもしれない」とのお話を頂きました。これはあくまで徳川家と当店との推測ですが、当時徳川政権内部にも「反水野派」がおり、水野失脚をもくろみ、御用商人である当店へ江戸市中に「水野憎し」のム−ドを作るため敢えて出版を依頼したのでは・・・との推測です。 奇妙にもこの絵の出版から半年後に水野忠邦は失脚し、当店もお取り潰しにならなかったところをみると私どもの推測も間違いではないような気がいたします。
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タイトル | Re: 歌川国芳「源頼光土蜘蛛妖怪の図」の謎について |
No | 3535 |
投稿日 | 2009/05/25(Mon) 02:08 |
投稿者 | シャルケヌ |
はじめまして。 このサイトの制作者です。
大変興味深い言い伝えを教えて頂きありがとうございます。 いろいろ推理できて面白いですね。
ちょっと調べてみましたら
1843年6月に水野忠邦が上知令発布していて この絵が8月でしょうか。 9月には水野が上知令を断行しようとして大名・旗本の反対に遭い、 水野の腹心の鳥居耀蔵が上知令反対派の老中・土井利位に寝返って、機密文書を渡すなどしたため 閏9月13日に水野忠邦は老中を罷免されて失脚した。
・・・という流れからすると 鳥居・土井ラインが一番あやしいですね。
この絵には、なぜか鳥居耀蔵が描かれていないと いう話もありましたが、どうなのでしょう?
もしそうなら・・・彼しかいないことになりますが・・・
でも、そうすると、国芳は依頼者を知っていたことになり 反骨の国芳のイメージとちょっとそぐわないような気もするのですが・・・
一気に解決する説を センセーが作品に書いて下さらないかと 期待して待ちましょう。
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