タイトル | 書いておかなければ |
投稿日 | 2016/09/06(Tue) 06:10 |
投稿者 | 高橋 克彦 |
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ならないと思われる物語はなんですか、と最近しばしば担当編集者から問われる。 あまりに私の体調が不安定で、それを理由に新連載の依頼や継続中の物語の休載を頼むことが多いので、編集者の方も「それならどんな物語なら書きたいのか」と質してくるんだろうね。 好きに書けるものならあるいは気分も乗る、と考えるんだろう。
「なにもない」と私はたいてい即座に応じてきた。 三十年以上もこの仕事を続けて、もはや存分に書いたという気持ちがある。 無理に物語を自分の中から引き出したとして、それは決して「書きたい」物語と言えない。
確かに完結していない物語もあり、読み続けてくださってきた読者に対する責任というものを考えないわけでもないが、それで大喜びしてくれる読者は果たしてこの世に何人居るんだろうと思うと、正直心が萎える。 私の場合、シリーズと言っても連載が長期間に及ぶため、どんどん読者が離れていっている気がする。 たとえば総門谷Rの完結を心底待ちわびている読者がどれだけいるだろう。 たぶん千人も居ない。 その千人のために全身全霊を傾けて完結させるのが作者の責任という考え方もできるが、申し訳ないが私には千人のために命を削って取り組む気力も体力もなくなりつつある。 それよりは一万人が読んでくれそうな新しい物語に取り組む方がまだ頑張れる。 これは印税の問題なんかじゃなく、物書きの性なんだね。 読んでくれそうにない物語を書き続ける情熱は薄れている。
それに人間は仕事途中で亡くなることが多いわけだし、未完も特別珍しいことじゃない。 どころか人生ってだれしもが「現在」は未完の状態なんですよ。 それに気付いたら途端にこちらも気が楽になって完結へのこだわりがなくなった。 むしろ完結させての満足より、その主人公たちと会えなくなる寂しさの方が大きい。 「ドールズ」で味わったことです。 読者には申し訳ないけれど、私は死ぬまで目吉を側に置いていたかったと今になって後悔している。
と、ここまではつい先日までの私の偽らざる気持ちであったんだが、最近ちょっとした事情があって「竜の柩」から始まり、私の書いてきたSF伝奇をすべて読み返す必要に駆られた。 大概が何十年ぶりかに精読するもので、自分ながら圧倒されてしまった。 こんなに深くて凄いことを書いていたんだなー、と驚いたしだい。 こういう作品が今読まれなくなっているのは決して私の責任じゃなく読者の未熟さの方にあるね。
ま。それはともかく「蒼夜叉」と「降魔王」を読み返し、本当に何十年ぶりかにこの続編が書きたくなった。 崇徳院と剣杏之介にもっと不可解な謎に取り組ませたい、と夢想した次第。 目吉なき今、私にとっての友人はこの二人しか居なくなった、という感じ。 完四郎とかおこうたちは少し分別がつきすぎてきたので破天荒な物語世界に踏み込ませられなくなっている。 もちろん弓削是雄は居るわけだけど時間と舞台が制限されている。 崇徳院と剣ならある意味なんでもありで、こちらもわくわくできそうだ。 水壁が完結したら早い時期にどこかの雑誌ではじめようかと思っている。 ひさしぶりに気持ちが高揚しております。 |