あ    い    う    え    お 
 あ行    か行    さ行    た行    な行    は行    ま行    や行    ら行    わ行   参考文献 
 AI『竜の柩』  

アヴェスタ■竜下53■

ゾロアスター教の聖典。アーリア人は、古代において一方は東へ向かってインド亜大陸に至り、もう一方は西方へ南下してイランに定着することになった。したがって、イラン語による最初の文献『アヴェスタ』中の神名・神話内容は、インドのヴェーダ文献(特に最古の『リグ・ヴェーダ』)と共通点が多い。前二千年紀にさかのぼるインド・イラン共通時代には、神々はデーヴァ(イラン神話ではダエーバ)神群とアスラ(アフラ)神群の二群に大別されていた。デーヴァ(ダエーバ)神群の神々は慈悲深く、人間的弱点をもあわせ持ち、戦士的、ときにディオニュソス的な性格を示す。一方アスラ(アフラ)神群は、人間に峻厳な、人知を超えた不可思議な力を備えた神々を指す。『リグ・ヴェーダ』においてミトラ(ミスラ)と対をなすヴァルナが、アスラ神群を代表する神である。ゾロアスター教の主神アフラ・マズダは、このヴァルナ神と同一起源のものであると推定される。インドでは、アスラ(アフラ)神群が、仏教の阿修羅が示すように、悪神となったのに反して、イラン側ではまったく逆に、インドラやアシュヴィン双神などのデーヴァ(ダエーバ)がゾロアスター自身の教説において悪神とされている。このイラン、インド両神界に見られる最大の相違点を、ゾロアスターの宗教改革の結果に帰す学説がある。

青木ケ原■新下104■

富士山北西麓に広がる大樹林帯。凹凸の多い溶岩原には鳴沢氷穴、富岳風穴などの溶岩洞穴がある。

虹人がイシュタルの操縦するアダムスキ型UFOの中から眺めたときは、紅葉を終えた樹海が広がっていた。

青山徳治■竜上67■

総理の懐刀と噂される第一秘書。一見愚鈍な印象を与えるが、目の奥には鷲のように鋭い光が宿っている。酷薄で怖い男。

証の聖櫃(あかしのせいひつ)■新上89■

契約の櫃。アーク。旧約聖書中の記事の中で言及されている、運搬可能な木製の長方形の箱。その中に十誡を刻んだ二枚の石板が納められていたとされる。

モーゼが神の指令を受けた箱だという記述から、神より授けられた通信機であるという解釈があり、また、神が降臨したと思われる記述から、神の台座であるとも言われた。さらに、聖櫃を開いた人間たちが瞬時に命を奪われていることからは、原子エネルギーを用いた武器だったという解釈もある。映画『インディー・ジョーンズ』の話は空想ではなく、現実にナチスは最終兵器としての可能性を信じ、エジプトを熱心に捜し歩いている。

黄金で包まれた聖櫃の四隅にケルビムが飾られ、箱の底には、持ち運ぶための棒を通す輪もつけられていたというその形は、日ユ同祖説によれば、日本の御輿の原型だという。

秋田孝季(たかすえ)■竜上32■

『東日流外三郡誌』の編集者。『東日流外三郡誌』によれば、長崎出島目付け役・橘左近の次男として、明和七年に生まれ、隆将といった。父左近は「外蛮史」を学んだことが一因で職を解かれ、妻の兄である秋田佐竹藩士・由利亥馬の食客となり、まもなく死亡した。橘左近の未亡人は、三春藩主・秋田千季(ゆきすえ)の側室に迎えられ、隆将は秋田二郎孝季と称した。孝季は、佐竹藩に土崎湊検番奉行として仕官したが、兄が早世すると官を辞して浪人となり、長崎に赴き勉学に努める。寛政元年、佐竹藩・土崎湊にかえったところ、藩主で義父でもある秋田千季に招かれ、『東日流外三郡誌』の編纂にあたる。妹・理久は、津軽郡飯詰郷の和田長三郎吉次の妻。

原田実氏は、『東日流外三郡誌』にある秋田孝季に関する記述の矛盾点を列挙し、その実在性を疑っている。

秋田千季(ゆきすえ)■竜上32■

安東氏の末裔である三春(みはる)藩(現在の福島県三春町)の城主。大火によって、古文書、記録のいっさいを失ったため、寛政元年(1789)新たな家史の編纂を意図し、『東日流外三郡誌』の編纂をはじめた。

アーク■新上89■

証の聖櫃)参照

アクト・ナイン■竜上12■

宗像剛三が出資している小さなテレビ番組制作会社。九鬼虹人を筆頭に、ライターの緒方連一郎、カメラマンの東哉期、助手の咲村純、経理の有明蓉がいる。年に一、二本、腰を据えた歴史番組を制作し、質はもとより視聴率も稼いでいる。

アグニの槍■竜下44■

アグニとは、「火」を神格化した古代インドの神で、『リグ・ヴェーダ』では武勇神インドラに次いで多くの賛歌がアグニにささげられている。太陽、電光、祭火として、天空地の三界に出現するといわれるなど、多種多様な形態であらゆる場所に顕現することを特徴とする。

アグニがドゥルガーに与えた槍を、虹人は火を噴く槍、つまりミサイルではないかと考えた。余談であるが、インドの長射程のミサイルをアグニという。

アグネア■竜下162■

『マハーバーラタ』に出てくる英雄アスワタマンの武器。神々すら抵抗しがたいという。

『人類は核戦争で一度滅んだ』という本の中で、アグネアによる核戦争ではないかとして次の描写が紹介されている。「戦士たちは猛火に焼かれた木々のように倒れ」「焼かれた巨大な象たちは、あたり一面に倒れ、ものすごい叫びをあげた」とは核兵器の熱線による被害で、二次火災の描写が、象たちは「炎から逃れ出るべく、恐怖にあえぎながら駆けまわった」「恐怖に狂ったように水を求めてあたりを駆けまわった」である。さらに「恐ろしい風」が吹き「突然、濃い闇が軍勢をおおって」その方向感覚をうばってしまった。「荒れ狂う風の一撃が、巨大な象たちや木立を倒した」というのは爆風によるものである。爆心地ではきのこ雲が生じるが、その内部から上空を見上げたとき「太陽はゆれ動き」「宇宙は焼け焦げ、異常な熱を発し」「自然の秩序そのものがかき乱された」ように思えたに違いないと記されている。

アジスキタカヒコネ神■竜上256■

阿遅志貴高日子根神。紀・味耜高彦根神。日本神話の神の名。大国主命との多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)の子。記紀神話では、亡くなった天稚彦(あめのわかひこ)を弔問した際に、容貌の類似から死者と誤られ、それに怒って天に飛び去る。奈良県御所(ごせ)市高鴨神社に祀られ、葛城迦毛大神(かつらぎのかものおおかみ)ともいう。阿遅志貴高日子根はその容儀を「光儀(よそほい)花艶(うるわし)」と称えられ、また、『古事記』には、その妹の下照姫(したてるひめ)によって、「・・・・・・玉の御統(みすまる)の あな玉はや み谷 二(ふた)渡(わた)らす 阿遅志貴高日子根」と歌われる。この歌は諸家によって「二つの谷を同時に照らす電光の賛美」と解されている。吉野裕子氏は、雷神はまた蛇神でもあるから、玉といい、二つ谷といい、その原意は蛇の左右の二つの目玉からでる光の賛美の可能性もある、と述べている。

虹人は、大国主命の息子のアジスキタカヒコネ神と建御名方神が龍神であることから、大国主命が龍の一族であると推測し、大国主命の祀る神が龍であったことは確実であろうと述べている。

葦嶽山■竜上83■

広島県比婆郡にある山。昭和九年五月、竹内文書の研究者で、日本ピラミッド研究の第一人者・酒井勝軍(さかいかついさ)によって、23000年前のウガヤフキアエズ王朝時代に建造されたピラミッド(アメツチヒヒラミド、天之御柱弥広殿=アメノミハシライヤヒロドノ)であると発表された。三角錐をした山の急斜面に、多くの巨石が存在し、高さ七mの「柱石」、精巧な石組みの「方位石」、そして、高さ8m・幅10m・重さ100トンを超える「鏡石」がある。

アシモフ■新上310■

1920-92 アメリカの作家、生化学者。SF、科学啓蒙書の書き手として名高い。ロシアで生まれ、3歳で渡米、8歳で帰化。1939年コロンビア大学を卒業。49年ボストン医大に就職し、79年から教授。在学中からSFを書きはじめ、日本では50年代中ごろから広く読まれるようになった。ロボット工学の三原則に基づくロボット物(『わたしはロボット』『鋼鉄都市』など)や、ファウンデーション・シリーズ(『銀河帝国の興亡』)などの未来叙事詩などにより知られているが、二百冊を超える著作のかなりの部分を、数学、物理学、天文学、化学、生物学、歴史など幅広い分野にわたる啓蒙解説書が占める。また、ミステリーにも意欲を示し、SFの中にもその傾向がみられるものがある。

イシュタルに、この世界が四千年前の地球であると聞かされた東は、この星の月は地球の月の五倍はあり、ここは地球ではないと言う。イシュタルは、あれは自分たちの母船であり、仲間のほとんどは、あの母船の中に暮らしていると言う。虹人は、月が巨大な宇宙船であることは、アシモフがとっくの昔に指摘していた問題だと述べる。

アシュヴィン双神■竜下52■

インド神話の双児神。古くはナーサティア(治療するもの)と呼ばれた。太陽神スーリヤの娘の恋人。彼らは常に若く美しく、三輪の車に乗って大空を風のように疾走する。蜜のしたたる鞭を振るって人々に恵みを与え、寿命を延ばし、身体の欠陥を除く。後に、神々の医師とみなされる。前十四世紀のミタンニ・ヒッタイト条約文に、インドラ、ミトラ、ヴァルナとともにその名を挙げられており、小アジアにまで知られていた神であることが分かる。ナーサティヤに対応するイラン神話のナーンハイスヤは、『アヴェスタ』において、インドラの場合と同じように悪魔の列に落とされた。(アヴェスタ参照

虹人は『アシュヴィン双神の歌』の急速に下降し、軽快に走る車ありて、不可思議な力ある双神とか、雲の海越えて天翔ける赤き鳥という描写は、戦闘機か小さなUFOだという。

アショカ王■竜下124■

生没年不詳。古代インド、マウリヤ朝第三代の王。在位前268年〜前232年頃。在位8年に、全インドをほぼ統一した。王はこの前後に仏教に帰依し、その後しだいに信仰を深めた。

虹人は、考古学者カニンガムがハラッパーを発見しながらも本格的発掘に到らなかった理由として、彼の関心がアショカ王の仏教遺跡に向けられていたからと語る。

アストリア・ホテル■竜下43■

インドのカルカッタのホテル。山崎たちがここに泊まった。

アズビラヌ■新上110■

シャルケヌの生まれは、ユーフラテス川の畔のアズビラヌである。

アスファルト■新上133■

黒色あるいは黒褐色で、常温では固体または半固体の物質。古代エジプトやメソポタミアでもすでに防水・防腐用、建造物の接着用に使用されていた。

シャルケヌに捕えられた虹人たちとプアビは、龍一族が撤退したニプルに連行される。この街の道や建物の外壁は焼き煉瓦で造られ、煉瓦と煉瓦の隙間はアスファルトのようなもので埋められていた。

アスラ(阿修羅)■竜下39・172■

アーリア人のインド・イラン共通の時代には、アスラとデーヴァはともに神を意味した。アスラ神群は人間に峻厳な、人知を超えた不可思議な力を備えた神々を指し、不死なる神々の天上世界と、死すべき人間の地上世界の両方を秩序づけるリタ(天則)を守護している。しかしアーリア人がインドとイランに分かれて定住してからは、インドではアスラが悪神を、デーヴァが善神を意味するようになり、イランでは逆に、アスラはゾロアスター教の主神アフラ・マズダとなった。仏教に取り入れられた後、アスラは阿修羅(「非天」と訳されることもある)となり、天に敵対して闘争をこととする乱暴な鬼神とされた。

アスワタマン■竜下162■

『マハーバーラタ』に登場する英雄。ヴィマーナに乗り、核兵器と思われるアグネアの武器を発射した。

アソベ族■竜上36■

阿蘇部族。『東日流外三郡誌』に記されている津軽最古の民。「西大陸よりの渡る民なり」と記されている。アソべ族は、寒さに強く狩りを得意とし、自らをアベと称した。数万年後、新たにツボケ族が津軽に漂着すると、激しくこれと闘うが、岩木山の噴火によって、アソベ族は壊滅的な打撃を受け、ツボケ族に吸収的に融合された。

虹人は、十三湖を一周する車の中で『東日流外三郡誌』について語る。そこに記されているアソベ族とは、およそ五万年前に中国から津軽に漂着した一族で、岩木山の麓に定住し平和な生活を営んでいたが、五、六千年前に、中国からツボケ族が新たに漂着すると、激しくこれと闘ったという。そして、アソベ族とツボケ族はやがて和解し、紀元前一千年頃には亀ヶ岡に代表される古代文化を形成したと語る。

アダムスキ型■竜下286・新下14■

アメリカの神秘哲学者アダムスキー(1891‐1965)が遭遇したUFO(unidentified flying object)の形で、底の深い皿を伏せたような形の円盤。アダムスキーは、『空飛ぶ円盤実見記』のなかで、カリフォルニア砂漠に円盤が着陸し、そこから出てきた金星人と会見したと語っている。UFO内のドーム中央には、磁気を帯びた太い柱が床から天井へと伸び、それにより重力制御をするという。

江戸時代に出現した円盤「うつろ舟」も、アダムスキ型UFOであった。イシュタルの円盤もまたアダムスキ型であり、虹人は、イシュタルが金星の女神であることから、アダムスキ型UFOは金星人のものであるというアダムスキの記述と一致すると述べている。

アーチェリー■竜下22■

西洋で発達した弓術。

ノアの方舟調査隊に参加しアララト山で死亡した森下隆一の妹・森下信子が、学生時代から得意とするスポーツ。

アッカド■新上68■

古代メソポタミアの地名、民族名、言語名。メソポタミア南部の沖積平野、後のバビロニアの北半部(ニップール以北)の地を指す。前2350年ころサルゴンが、セム系のアッカド人を率いてこの地に首都アガデを造営し(その遺跡は未発見)、メソポタミア最初の帝国を建設する。

アッキ■新下10■

アッカド王サルゴンの養父。灌漑工事人。籠に入れられ川に捨てられたサルゴンを拾い上げて育て、庭師に仕立てた。

アッシェル■新上258■

メソポタミアの遺跡。同じメソポタミアのマリ遺跡で発掘されたイシュタル像と、この遺跡で発掘されたイシュタル像の帽子や箱枕などが同一であることから、これらの装身具がイシュタルの特徴をあらわすものであると判明した。

アッシリア■竜上326■

メソポタミアの北部からおこり、古代オリエント最初の世界帝国を築きあげたセム人系国家。

アッシリアは前14世紀に領域国家に成長し、シリアおよび北部山岳地帯に接する領域を支配していたが、前10世紀以後大発展を遂げ、前8世紀後半のティグラトピレセル三世のとき、地中海からバビロニアに至るまでを領有する大帝国が成立した。その子のサルゴン二世はイスラエル王国を滅ぼし、さらに版図を拡大した。エサルハドンは前671年にはエジプトを侵略し、初めてメソポタミアとエジプトが統一された。次のアッシュールバニパルは文書記録の保存に熱心で、首都ニネヴェに図書館を建設した。ニネヴェ発掘の際ここより出土した粘土板記録は、近代アッシリア学成立の基礎材料となり、『ギルガメシュ叙事詩』もここから発掘されたものである。同王の治世末期には帝国は弱体化する。カルデア人のナボポラッサルは前625年にバビロンに入城し、カルデア王朝(新バビロニア)を樹立した。メディア・新バビロニア連合軍によって前六一二年にニネヴェが陥落し、アッシリア帝国は滅亡した。

アテネ■新上210■

ギリシア共和国の首都。古代ギリシア語ではアテナイ。前八世紀以降、この町を中心に、都市国家すなわちポリスが形成された。前5〜前4世紀、アテナイは数あるポリスの中でスパルタと並んで政治的・軍事的に最大の勢力を誇るばかりか、文化創造の面でもひとり群を抜く存在であった。そして世界史上、まれにみる徹底した直接民主政を完成し、前2世紀、ローマの支配に服するまで独立の国家としての存立を保った。この都市の守護神アテネは、古代ギリシアの重要な女神で、知恵、学芸、工芸、戦争をつかさどる。彼女とアテナイとの関係については、かつて彼女と海神ポセイドンがこの町の領有を争ったおり、海神が三叉の矛を一撃してアクロポリス上に馬(一説では塩水の泉)を出現させたのに対して、彼女はオリーブの木を生じさせた。これを見た神々は後者の方が住民に有益な贈物と判定し、アテナに軍配をあげたので、以後この町は彼女の庇護下におかれ、その名もアテナイと呼ばれるようになったと伝えられる。

虹人は、プラトンがなにかを手本にしてアトランティスを創造したと言うなら、都市形態はアテネでもよかったわけだと言い、シュメールやモヘンジョ・ダロと同じ都市形態をもつアトランティスは架空の物語ではないと語る。

アドホックビル■竜下19■

新宿にあるビルの名前。その地下にドイツ料理の店「ラインゴールド」があり、そこでアクト・ナインのメンバーと、南波、山崎、森下信子が会って、インド行きの話をした。

アトランティス■新上205■

プラトン晩年の対話編『ティマイオス』と『クリティアス』に語られる島の名前。かつてアテナイの政治家であり詩人でもあったソロンがエジプトに旅行した時に、その地の神官が古い記録に基づいて彼に語ったという体裁をなしている。それによると、今からおよそ二万一千年前、ジブラルタル海峡のかなたにアトランティスという名の島があった。それはアジアとアフリカを合わせたよりも大きく、ポセイドン神の五組の双生児が島を十分して支配していた。最年長の初代の王アトラスにちなんで島は命名され、そのまわりの海も「アトラスの海」(大西洋)と呼ばれたという。整然と計画された都市と、強力な軍事組織を備え、ヨーロッパやリビアの一部まで支配していた。しかし、一万一千年前、大地震と大洪水とのため一昼夜にして海中に没し去ったという。

虹人はアトランティスにおいて、環状の運河が中央の王宮を取り囲むように幾重にも掘られたこと、王宮の中心には立ち入り禁止区域の巨大なプールがあり王族がすべてそこで生まれていること、海神ポセイドンが持つ三叉戟がシュメールとモヘンジョ・ダロの支配者だったクベーラの武器であることから、アトランティス、シュメール、モヘンジョ・ダロは龍一族が築いた同一の文明であると考察する。また、アトランティスの沈没の原因を、牡牛一族による核攻撃と推測している。

アナトリア■竜下185■

アジアの西部にあり、黒海、エーゲ海、地中海にかこまれた半島。小アジアとも呼ばれる。現在のトルコ共和国の大半を占める。平均標高1132mの高原状台地。アナトリアは、世界最古の鉄器使用地といわれ、前2000年頃にはヒッタイト王国が成立した。

モヘンジョ・ダロでの戦いの三日後、虹人たちはアナトリア高原の中心都市アンカラにいた。

アナトリア古代文明博物館■竜下196■

アナトリア高原に栄えた文明の遺物を揃えている博物館。

ヒッタイト文明を探るためにここを訪れた虹人は、亀ヶ岡土器と類似の土器が、アラジャホユック出土のものであることを知る。

アナンタ龍王■竜下40■

ヒンドゥー教の文献では、ナーガすなわち蛇族は、パーターラと呼ばれる地底界に住むとされ、その最下層に原初の蛇アナンタが住み、その頭で全世界の重みを支えているという。大蛇シェーシャともいう。

ヴィシュヌは、多頭のアナンタ龍王に守られているが、これも仏教を取り込む必要から出てきた、仏陀との繋がりかもしれないと虹人は思った。

アハキヘワナサヒコノ命■竜上275■

阿波枳閇委奈佐比古命(あわきへわなさひこのみこと)。『出雲風土記』に見られる神の名。島根県大原郡大東町の船林神社の祭神。阿波の国からきた彦神とする説があるが不明。『出雲風土記』の大原郡船岡山の条に「アハキヘワナサヒコノ命の曳き来居(きす)ゑましし船、すなわち此(こ)の山是(こ)れなり。故に、船岡という」とあり、この船岡山の上に船林神社がある。

虹人たちが、船林神社を訪れた際、タクシー運転手の渡部がくれた『島根の神々』という本のコピーに、船林神社の祭神であるアハキヘワナサヒコノミコトの伝承が短く掲載されていた。それには、アハキヘワナサヒコノ命が、加茂町の貴船神社の主祭神でもあることが記されており、貴船神社の祭神が龍神であることから、虹人は、龍神と深い関係がある神が、どこからか船を曳いてきて、それがこの船岡山になったと説明する。さらに、目一鬼(まひとつおに)の伝説がある阿用と、須佐之男命の伝説が残されている海潮温泉の近くに、船と関わりの深い地名があり、その形がまるで巨大なロケットでも埋めたような山であることを指摘する。

アヒ■竜下49■

インドラの敵のアスラ。ヴリトラ=障碍者。手足がなく、蛇の形をしており、雷鳴・稲妻・霧・霰を起こし、水を堰き止めて旱魃を起こす。インドラの武器であるヴァジュラに打たれて殺される。

虹人は長髄彦の兄である安日彦の名前との類似を指摘した。

安日彦■竜上36■竜上36■

『東日流外三郡誌』によれば、安日彦は長髄彦の兄であり、畿内にあった邪馬台国の国王とされる。神武天皇率いる日向軍に邪馬台国が滅ぼされると、長髄彦とともに津軽に落ち延びた。安日彦の名は『記紀』には記されていないが、吉田貞吉氏は、岩木神社社司安倍氏の「由来書」を挙げて、秋田氏の先祖が長髄彦の兄のアビであると言う伝承は、『東日流外三郡誌』の編集以前からあったことを明らかにしている。また、「下国生駒安倍姓之家譜」などには、「安日の長髄」という一人の名前となっているため、安日は長髄彦の兄ではなく、姓ではないかとも言われている。

虹人は、インド神話『リグ・ヴェータ』に登場する悪龍アヒと安日彦の名の類似を指摘している。

アヒル文字■竜下60■

漢字の渡来及びかなの成立に先立って、古代日本で使われていたといわれる神代文字の一つ。対馬の卜部・阿比留家に伝えられる。アヒル文字は、マックレオドが古代日本に見られる楔形文字として命名したキネクサビ文字の変形したものである。

九鬼虹人は、シュメールで用いられた楔形文字の変形であるアヒル文字が古代日本で使われていたこと、アヒル文字のアヒとはインド神話において悪龍とされるアヒから来た呼び名である可能性があること、アヒル文字が中国から出雲へ繋がるルート上の対馬に残されていることから、龍をトーテムとするシュメール人が牡牛をトーテムとする人々に追われ、インド、中国、出雲へと逃れてきたと推論する。

アブディア■新下232■

預言者。

虹人は、牡牛の一族が人類に行なった最大のペテンとして、バビロンの一件を話し出す。

ヤハウェは、イスラエルの滅亡と、バビロンの捕囚の預言をエレミアに与えたが、エレミア一人だけでは預言が広まらないと心配したのか、ほぼ同時に何人もの人間に同じ預言を与えた。アブディアもその一人である。

アブラハム■竜上333■

古代イスラエル民族の伝説的な父祖。ノアから十代目に当たる。

『創世記』によれば、アブラハムはユーフラテス川下流域に比定されるウル出身であった。にもかかわらず、聖書の編纂者がノアの方舟の着地点をシュメールとせずにトルコのアララト山に変えたのは、舟という確実な証拠があったからだとしか思えないと、九鬼虹人は述べている

アフロディテ■新上210■

ギリシア神話の恋愛と美の女神。シュメールのイナンナ、バビロニアのイシュタル、カナンのアスタルテ、ローマのヴィーナスに相当する。ゼウスの父神クロノスがその父ウラノスの陽物を切断して海に投じたとき、まわりにわいた泡(アフロス)から生まれたという。鍛冶の神ヘファイストスの妻となったが、軍神アレスと情を通じて、愛神エロスや、テーバイの建設者カドモスの妻となったハルモニア等を産んだ。ヘラ、アテナ両女神と、最も美しい女神の誉れを争ったときには、審判に選ばれたトロイアの王子パリスに美女ヘレネとの結婚を約束して勝利をおさめ、トロイア戦争の遠因をつくった。彼女はまたトロイア王家の一員アンキセスを見初め、ローマ建国の祖アエネアスの母となったほか、美青年アドニスを寵愛した話でもよく知られる。

虹人は、破壊神のポセイドンが、ユートピアであるアトランティスの神というのは不自然であり、アトランティスがプラトンの創作なら、愛の象徴であるアフロディテや、芸術の神アポロンを支配者に据えると言った。

安倍一族■竜上13 35・竜下56■

陸奥国の豪族。「秋田系図」「藤崎系図」によると、安倍氏は安日彦の子孫とされる。安倍を姓にした由来としては、『会津旧事雑考』には次のように記されている。崇神帝の時代に蝦夷が叛乱を起したので大毘古命(おおびこののみこと)の子安倍河別命(あべのかわわけのみこと)を将軍として討伐させた。安倍河別命(建沼河別命)は苦戦を強いられた。そのとき安東(やすはる)という者が、願い出で言うには、自分は宇摩志麻治命(うましまじのみこと)の臣下であった安日という者の末裔である。先祖の安日は罪を得て、東国に蟄居したが、ついに今にいたるまで赦免がない。罪を赦してもらって命令をして下されば、私は先鋒となって戦いますと言った。そこで安倍河別命は安東を先鋒として戦わせた。安東は大いに手柄を立てた。その功績を賞して安倍姓をさずけ、さらに将軍の号を与えた。それが奥州安倍氏の始まりである。秋田系図「寛政呈譜」によれば、安日王と長髄彦の兄弟は摂津国胆駒(いこま)岳に住んでいたが、神武帝が東征して大和に入ったとき、安日は放逐されたとある。安日の子孫は北海の浜に数代とどまっていたが崇神天皇の御代、安倍将軍河別命が夷狄を追伐するとき、安日の末裔が将軍に従って軍功があったので、将軍は自分の氏の安倍を与えた。そこで安倍を称するようになったという。一方、『阿部伝記』はでは、斉明帝の御代、阿倍比羅夫(あべのひらふ)が遠征した時に安東と言う者が現れたことになっており、阿倍比羅夫が、その勲功をたたえて安倍氏の姓を与えたと記され、「これより安東安倍とも号し祖先の名に通じて安日とも書す」とある。これに対して『東日流外三郡誌』では、「阿倍比羅夫が水軍を以って、荒吐族に降り、和睦以来なり」と記され、安倍安国(やすくに)が安倍氏初代で、二代が安倍安東(やすはる)とされる。

安倍氏は、「奥六郡の司」(岩手県中央部の胆沢、江刺、和賀、剰貫、紫波、岩手の六郡の郡司)として蝦夷を統率する地位にあったが、前九年の役で、安倍貞任(さだとう)が厨川柵(くりやがわのさく)で戦死し、降参した宗任(むねとう)らの一族は伊予国と大宰府に流されて,安倍氏は滅亡した。しかし、「秋田系図」「藤崎系図」によると、安倍貞任の次男・高星丸が厨川柵から落ち延び、津軽の藤崎城主となり安東氏を興したとされる。

田中勝也氏、谷川健一氏は、アイヌ語で火を意味する単語がabe(アベ)api(アピ)であることを指摘し、安日も安倍も同じくアイヌ語の火をあらわしていると述べている。

安倍貞任■竜上20■

1029?-62 平安時代の陸奥国の豪族。安倍頼時の嫡子。通称厨川二郎。1056年(天喜四)、前九年の役を起こし、陸奥守源頼義らと戦ったが、62年9月17日、本拠の厨川柵(岩手県盛岡市)において敗死した。『陸奥話記』には、貞任は身のたけ六尺余、腰の周り七尺四寸という色白の巨漢であったとある。

安倍神社■竜上43■

津軽の神明宮の別名。於瀬堂とも呼ばれた。長髄彦の墓の上に建てられた神社といわれ、江戸時代に強制的に神明宮と名称を変更させられた。

アクト・ナインのメンバー五人が、津軽で福島城跡の次に訪れたところ。虹人はこの神社で、石段の脇の木の枝に、藁束の龍を見つけた。

安倍則任■竜上20■

安倍八郎則任。白鳥八郎と称した。安倍貞任の弟。「秋田系図」「藤崎系図」によると、前九年の役で捕えられて、護送される途中で死んだとある。一方『東日流外三郡誌』によると、則任は二歳のとき、藤原維衡に護られて十三湊(とさみなと)の白鳥館に入り、八歳で藤原氏季と名を改めた。十三湊にはじめて城を築いたという。前九年の役に敗れた安倍貞任の次男・高星丸(たかあきまる)が、厨川から落ち延びて十七年後に則任のもとについたとされる。

虹人は、平泉文化の礎を築いたのは貞任の妹の子である藤原清衡であり、十三湊と平泉は濃い血の繋がりがあったという。

アポロン■新上210■

ギリシア神話のオリュンポス十二神の一人。ローマ神話ではアポロ。ゼウスとレトの子で、狩猟の女神アルテミスの双生の兄。おもに詩歌、音楽、予言、弓術、医術をつかさどるほか、法典を裁可し、道徳を鼓吹し、哲学を庇護するなど、人間のあらゆる知的文化的活動の守護神。

虹人は、破壊神のポセイドンが、ユートピアであるアトランティスの神というのは不自然であり、アトランティスがプラトンの創作なら、愛の象徴であるアフロディテや、芸術の神アポロンを支配者に据えると言った。

天照大御神■竜上216・新下252■

記紀神話に登場する太陽神的性格の女神。皇室祖神として伊勢神宮に祭られている。『古事記』によれば、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)がみそぎで左目を洗った際に成りいでたという。

『竜の柩』では、アマテラスは、牡牛の神々を率いる地上軍の総師である。本名はヒルメ。虹人は、ヒルメという名前は、昼の女(め)という太陽を示す言葉ではなく、イザナギ、イザナミに叛旗を掲げて高天原から地球に降り立った長男・ヒルコに対する名前であると考えている。ヒルメは、父イザナギの意志を受けついでムーを滅ぼし、龍一族との戦いの舞台をシュメールに移した。

天地日光被満人(あめつちひひらみど)■竜上108■

『竹内文書』ではピラミッドのことを天地日光被満人と表記している。

天の羅摩船(あめのかがみぶね)■新上262■

少名毘古那神の乗っていた船の名。『古事記』によれば、大国主神が出雲の御大之御前(みほのさき)にいたとき、少彦名神が波の穂より天之羅摩船に乗って帰(よ)り来たとある。一般的には、羅摩船の「かがみ」をカガイモ科の蔓草のこととし、羅摩船は蔓芋のさやをわって作った船であると解釈したり、ヤマカガミという芋科の蔓で編んだ船であると解釈したりしている。最近では、天之羅摩船の「かが」と大蛇の古語である「カガチ」との関連を指摘する研究者も多い。

九鬼虹人は、羅摩を鏡の比喩と捉えている。「羅」にはぐるぐる巡る、「摩」には磨く、達するという意味があり、天之羅摩船とは、鏡のように丸く光って、高い空をぐるぐる巡っている船と解釈している。

天越根国(あめのこしねのくに)■新上323・新下127■

『竹内文書』に記される国。日本のこと。『竹内文書』によると、始原神から七代神の皇子アメノミナカヌシは、天浮舟(あめのうきふね)に乗り、天元根国(あめのもとねのくに)(地球)の天越根国(日本)に天孫として降臨し、初代天職(あめのまつり)天皇となったという。

イシュタルの船から富士山の裾野を眺めた虹人は、まさに巨木の根ようだと言う。『竹内文書』では、日本のことを「天越根国」と表記しているが、富士山が根であるなら、天を超す根が聳える国と呼ぶことの意味が通じると語る。空から眺めると、富士山は根を張った巨大な切り株に見えたに違いないという。そしてその想像が確かなら、イザナミが根の国の住人になったという表現は、富士山の爆発によってイザナミが地下王宮に閉じ込められてしまったっとも読み取れると語る。

天之常立神(あめのとこたちのかみ)■竜上249・新下78■

日本神話の神の名。『古事記』において、八百万神(やおよろずかみ)に先駆け高天原に現われた別天津神(ことあまつかみ)・五柱のなかで、最後に出現した神。天の確立を意味する神名といわれる。出雲大社に祭られている。(別天つ神参照)

天の鳥船■竜上151■

日本神話の神の名。石楠船(いしくすふね)の神ともいう。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と、伊邪那美命(いざなみのみこと)の子。この神はその名より「鳥のごとく軽く行く、石のように堅い楠の船」と解釈されている。国譲りの際、建御雷神(たけみかずちのかみ)に副えて遣わされ、出雲の国の伊耶佐(いざさ)の浜に降り立った。

虹人は、「UFOとまで想像を逞しくしなくても、空を飛ぶ船なんだから飛行機とみな見捉しても飛躍した考えじゃない」と述べている。

アメノニニギノ天皇(みこと)■竜上86■

天仁仁杵天皇。『竹内文書』にある第二十四代の天皇の名。青森県の十和利山の麓に遷都したとされる。

アメノハバキリ■竜下272■

天蠅斫剣。日本書紀の一書にいう、素戔鳴尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を斬ったときに用いた剣の名。蛇(おろち)の麁正(あらまさ)ともいう。

虹人は、ハハは古語で蛇であることから、ハバキリは「ハバキキリ」つまり、ハバキ一族(蛇=龍一族)をきったという意味であると解釈する。

天日隅宮■竜上252■

出雲大社の別称。国譲りした大国主命が隠れた多芸志(たぎし)の宮を、『日本書紀』では天日隅宮と呼ぶ。

虹人は、古代に「隅」が黄泉の国を表す文字であるなら、天日隅宮という名前から出雲大社がどういう位置に置かれていたかが分かると述べている。(出雲大社参照)

天之目一箇神(あめのまひとつかみ)■竜下275■

鍛冶の祖神。一名を天津麻羅(あまつまら)という。『古事記』において、天照大神が天岩戸に隠れた時に、鏡を作るために天津麻羅を尋ね求めたとある。目一つと鍛冶の関係については、たたら炉の仕事の従事者たちが一眼を失うことが多かったため、金属精錬の技術が至難のわざであった古代には、目一つの神と仰がれたと考えられている。

虹人は、目一つという意味を、製鉄の際に目を守る遮光メガネをかけた姿と捉え、アラハバキを象った遮光器土偶をその神像と考えている。

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)■竜上249・新下78■

日本神話の神。『古事記』において、この世の一番初めに高天原に出現したとされる神。始源神。八百万神に先駆け、高天原に現われた別天津神(ことあまつかみ)の中の一神。(別天つ神参照)

アモス■新下232■

前8世紀のユダ王国出身の預言者。『アモス書』は、旧約聖書の預言書の中で最も古い。アモスはユダの山地の自由農民であったが、ヤハウェの召命を受けて立ち、イスラエルに赴いた。そこで短期間、激しい社会・宗教批判を行って、ユダに帰った。アモスの根本的確信は、ヤハウェがこの国を、日常倫理の破壊のゆえに罰して滅ぼす決断を下したというものであった。

虹人は、牡牛の一族が人類に行なった最大のペテンとして、バビロンの一件を話し出す。

ヤハウェは、イスラエルの滅亡と、バビロンの捕囚の預言をエレミアに与えたが、エレミア一人だけでは預言が広まらないと心配したのか、ほぼ同時に何人もの人間に同じ預言を与えた。アモスもその一人である。

アモン■新下233■

預言者アモスの父。

阿用(あよ)の郷(さと)■竜上275・278■

『出雲国風土記』に記される、大原郡の郷の一つ。現在の大原郡大東町の南部、東阿用から上久野・下久野にあたる地域。『出雲国風土記』によれば、昔、ある人が山田を耕作していたところ、目一鬼(まひとつおに)が現れ、耕作していた人の男(むすこ)を食った。その時その男の子の父母は竹薮のなかに隠(こも)っていたが、竹の葉がかすかに揺れ動いた。それを見てその時鬼に食われている男の子が動動(あよあよ)といった。それゆえ阿欲というとある。神亀三年に字を阿用と改めた。柳田国男は、『一つ目小僧その他』でこの目一鬼と鍛冶師の守護神天の目一箇神との関連を考察している。

出雲の船林神社を尋ねた際、虹人は、タクシー運転手の渡部がコピーした資料の中にあった『出雲国風土記』大原郡の部分から、目一つ鬼の話を見つける。デニケンは、世界の洞窟壁画に残る目一つのイメージを、宇宙服のヘルメットのガラスと看破した。虹人は、津軽のアラハバキ神の本体とされる遮光器土偶も、目玉の二つが繋がっていることに気がつく。

アラ■竜下74■

タタラで鉄を精錬するときにでる鉄屑のこと。

虹人は、アラハバキのアラが鉄屑のアラから、ハバキがふいごで空気を送り込む音から来ているという説を紹介し、実際、出雲や東北には古代のタタラ跡がいくつも発見されていることを語る。ヤマタノオオロチが須佐之男命に退治された時に肥の川が血に染まったという描写も、鉄の精錬のために川が赤くなったという比喩ではないかと言われていること挙げ、龍と鉄が結びついたのはほぼ間違いないと思うと語る。

洗磯崎(あらいそざき)神社■竜上31・101・竜下73■

津軽の靄山の麓にあるアラバキキを祀る神社。本殿の脇にある山神の祠に、鉄を含有すると思われる岩が祀られていた。

虹人は、これが『東日流外三郡誌』に出てくる石神信仰であると話す。インドのカーリーガード寺院で、床に置かれている真っ黒な岩を見て、東が洗磯崎神社を思い出す。

荒夷(あらえびす)■竜下283■

勇猛な武士を荒夷とよび、平将門も朝廷の貴族から荒夷と恐れられた。

虹人は、夷を恵比寿と書くようになったのは、福の神としての性格が強まってからのことで、もともとは、荒夷とよばれ恐れられていたと語る。東は、夷の金が「銕(てつ)」なら、アラエビスは、エビスの作ったアラが鉄であるということになるのでは、と言う。

アラジャホユック■竜下199・261■

トルコのアナトリア高原中央北部にある遺跡。ボアズキョイの北東約32kmにある。前2500年ごろの初期青銅器時代の王族墓とその副葬品から、独自の文化があったことで知られる。副葬品には金製・銀製の装身具、鉄身金装の剣を含む武器類のほかに、特異な女性像、青銅製の太陽の円板および牡牛と牡鹿の像がある。太陽の円板や動物像は神々のシンボルとして、竿先に固定された一種の「スタンダード」と考えられている。

アナトリア古代文明博物館を訪れた虹人は、亀ヶ岡式土器に類似した土器が、アラジャホユックから出土したものであることを知る。アラジャホユックの出土品には、この他、扁平な頭の両側に丸い巨大な目玉がついたコブラのような女神像があり、コブラに似ているナーガはモヘンジョ・ダロを追われた人々が信仰していたクべーラと同一であることから、この女神像が古代トルコとモヘンジョ・ダロを繋ぐ証拠となるのではないかと推論する。

アラスカ・インディアン■新下76■

アラスカの原住民。エスキモー。大洪水から逃れた人々が自分たちの祖先であり、祖先たちは空を飛び鋼鉄の頭を持っていたという神話を伝えている。

虹人は、鋼鉄の頭を持った鮭を、ヘルメットを被り、銀色の気密服を来たエイリアンと考える。遮光器土偶の目玉は、エスキモーの用いる遮光メガネと類似しており、また日本人とエスキモーでは顔も似ているという。さらに、インカやマヤ文明が栄えたメキシコの原住民も日本人と顔が似ており、メキシコでは縄文土器と類似のものが出土し、一万二千年前の地層からは遮光器土偶を絵にしたと思われる石版が見つかっていると語る。虹人は、アラスカ、メキシコ、日本には、文明の共通性があり、それぞれの文明の共通の根がムー大陸であったと推測している。

アラハバキ(荒吐)■竜上15・108・竜下73・74・272・新下121■

「謎の神アラハバキ」参照

虹人は、アラハバキのアラはタタラで鉄を精錬する時にできる鉄滓で、ハバキはフイゴで空気を送り込む音から来たものだとする学者もいると説明する。また、須佐之男命がヤマタノオロチ退治に使用した刀の名前は、アメノハバキリといい、ハバキリとは、ハバキキリつまりハバキ一族をきったと解釈する。さらに、ハハは、蛇の古語であり、アラは鉄滓を示す言葉であるから、アラハバキとは鉄を作る蛇の民を意味すると言う。

塞の神と考えられる石棒は、古くからアラハバキといわれている。これは、荒々しい外敵を掃くという塞の神の役割と一致する。塞の神、つまり道祖神から発展した金精様を祀る神社が淡島明神であり、その淡島明神の祭神が少彦名神であることから、龍の一族は石棒=塞の神をアラハバキと言い習わし、その実体は少彦名であると虹人は考察する。

小さな体にヘルメットを被ったイシュタルが船から姿を現わすと、ミトジは「アラハバキの神・・・・・・」とその場に屈んだ。

アラマサ■竜下272■

蛇(おろち)の麁正(あらまさ)のこと。日本書紀の一書にある、素戔鳴尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を斬ったときに用いた剣の名。天蠅斫剣(あまのははきりのつるぎ)ともいう。

虹人は、アラマサとはアラ(製鉄民=龍一族)の平定に使った刀と推測する。(アメノハバキリ参照)

アララト山■竜上309・竜下297■

トルコ共和国の東端、アルメニア、イランとの国境近くにそびえる火山で、トルコの最高峰。標高5165m。『旧約聖書』の「創世記」によれば「ノアの箱舟」がその上にとどまったという。

イタリアのノアの方舟調査隊に参加して死亡した森下隆一の妹・森下信子から、アララト山に行くことを依頼された九鬼虹人は、アララト山にあるのは方舟ではなく龍に違いないという自説に基づき、アララト山に向かう旅に立つ。この山で、虹人たちとソフィアたちは龍を巡って死闘を演じ、生残った虹人、東、純、南波、鹿角が龍に乗り込む。

有明蓉■竜上10・320■

アクト・ナインの紅一点。23歳。会計係を勤める。アクト・ナインに勤める前は小さな広告代理店でアルバイトをしており、その時に仕事の関係で森下信子と知り合った。

アーリア人■竜下40・128■

インド・ヨーロッパ語族に属する言語を話し、インドやイランに定住した人々をさす。アーリア人はかつて中央アジアで遊牧生活をおこなっていたが、前二千年紀に入ると南に移動したという。その一部はイラン北東部に進み、アフガニスタンをへて、前1500年ごろにインド北西部に移住した。他の一部はそれより遅れてイラン北東部に入り、それから南西のイラン高原に進出した。両者の移動にはそれぞれいくつかの波があり、一挙におこなわれたわけではない。インド最古の文献『リグ・ヴェーダ』と、イランのゾロアスターの聖典『アヴェスタ』の最古層とは、言語のうえできわめて類似し、音の変化には一定の法則が見られ、宗教・文化に関する共通のことばが多い。またメソポタミアから発見されたミタンニやカッシート王国の記録には、ヴェーダに酷似した神や王の名と数詞が見られ、前1500年にはすでにこの地方にアーリア人が移住していたことが知られる。彼らの強力な武器は二頭の馬が引く軽い二輪車で、車上に乗った兵士が弓を射て、機動性に富む戦術をとり、各地で先住民を征服した。インドとイランに定住すると、それぞれ先住民と融合して独自の宗教と文化を発達させたため、インドとイラン両民族間の相違は大きくなった。

アリアン人■竜下51■

=アーリア人。

アルファベット■新上245■

通常ラテン文字と呼ばれ、現在世界で最も広く用いられている文字体系。アルファベットという名称は、ギリシア文字の最初の二文字の名を結合したもの。古代ギリシア人が、海洋民族のフェニキア人からこの文字体系を学び、この文字のことを「フェニキアの文字」と呼んでいた。

虹人は、アッカド人が牛をアルブと発音しており、それに囲いを意味するべトゥを繋げ、文字をアルファベットと呼んだと考えている。つまり、アルファベットとは牛の囲いの意味であり、神の聖域、神の幕屋のことを意味すると考察する。これは、神が文字を教えたというシュメールの伝説とも合致し、神の幕屋の中で人々は文字を学んだに違いないと述べている。

アルメニア共和国■竜下296■

ヨーロッパ南東部、大カフカス山脈の南側に位置し、北はグルジア、東はアゼルバイジャン、南はイラン、西はトルコと国境を接する。標高平均2500m以上の溶岩台地と山脈が国土の大半を占める。

虹人らは、マローン財団のトニオとともに、アルメニア共和国側から、アララト山の事故現場を目指した。

アレクサンダー大王■新上205■

前350-前323 マケドニア王国の王。在位、前336―前323年。アレクサンドロス三世とも呼ばれる。即位の二年後東方遠征に赴き、アケメネス朝ペルシア帝国を滅ぼして中央アジア、インド北西部にいたる広大な世界帝国を建設した。これを契機として、東西に活発な文物交流の場がひらかれ、豊かな世界文化の時代「ヘレニズム」時代がはじまった。

アレクサンダー大王がエジプトに建設したアレキサンドリアには大図書館があり、ここににはエジプト王朝より引き継いだアトランティスに関しての資料が集められていたと虹人は語る。

アレクサンドリア■新上205■

エジプト北部、地中海にのぞむ港湾都市。アレクサンダー大王が、ペルシア征討の途中エジプトに進駐した際、この地に港市を造らせたのが始まり。その後、プトレマイオス朝の諸王がここを首都とし、学園ムセイオンやアレクサンドリア図書館、世界の七不思議の一つに数えられるファロス島の大灯台など、他に類を見ない数々の建造物を建設した。

アレクサンドリア図書館■新上205■

古代世界最大の規模を誇った図書館。創建者はエジプトのプトレマイオス二世。アレクサンドリアをヘレニズム時代最大の学問中心地たらしめた。蔵書数は10万巻、50万巻、70万巻、90万巻と諸説がある。図書館の任務は、図書の収集、分類、目録作りのほか、原典の校訂や注釈の作成、写本の複製と市販、さらには外国図書の翻訳などにも及んでいた。キリスト教時代に入って異教文化破壊に遭遇し、三八九年に焼き払われてその存在を終わった。

虹人は、アレクサンドリア図書館に、エジプト王朝より引き継いだアトランティスに関しての資料が豊富に集められていたことから、エジプトを責め滅ぼしたトルコ艦隊の提督であるピリ・レイスが、アトランティスの遺産を手に入れたとしても不思議ではないと述べている。

淡島(あわしま)■竜下286■

記紀神話で、国生み神話にあらわれる不具の子。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の聖婚によって最初にうまれた水蛭子(=夷)は、不具の子であったため葦船に入れられ流された。そして、次に生まれた淡島もまた不作の子であったため、「この子も例(かず)に入らず」とされる。

虹人は、淡島神社の祭神である少彦名命を淡島の正体と考え、夷と少彦名命が兄弟であったと考察する。

淡島明神■新下122■

少彦名命をまつる和歌山市の加太(かだ)神社を淡島明神と称する。

アン■新上111■

シュメール語で、空の意味。同時に天の神をも意味する。楔形文字では八光の星であらわす。

この楔形文字の古い形が十六光であり、太陽あるいは星を表したことから、虹人はこの楔形文字を、天皇家の象徴である十六花弁の菊花紋の原型であるとする。さらに、シュメールの遺跡の神殿と見なされる地域に限り、十六花弁の菊花紋とまったく同様のものがいくつも見つかっていることから、日本人の起源をオリエントに求める学者たちは、この象形文字と天皇家の菊花紋の類似を唱えていると述べる。

アンカラ■竜下185■

トルコ共和国の首都。アナトリア高原の中央部に位置し、標高は800〜1000m。盛岡市とほぼ同緯度にあり、気候は大陸性で湿度は年間を通じて低い。

虹人たちは、国会議事堂を見下ろす、グランド・アンカラ・ホテルの六階に宿泊した。

アンカラ大学考古学研究室■竜下202■

アナトリア古代文明博物館を訪れ、アラジャホユックに興味を持った虹人は、博物館の学芸員から紹介されたアンカラ大学考古学教室の教授を訪ねた。そこで、大村幸弘著『鉄を生み出した帝国』を読むよう勧められる。

安東■竜上37■

北奥羽の豪族。安倍貞任の子高星丸(たかあきまる)の後裔と伝えられる。「安東・秋田氏系譜」によると、高星は三歳の時に、厨川柵から乳母の懐に抱かれて津軽に逃げ、やがて藤崎に城を築いたという。安倍氏が安東氏を名乗ったのは、安倍の姓を賜わった安倍氏の祖先・安東(やすはる)の名に因んでという。安東氏は、鎌倉時代には北条氏の被官となり、北条氏所領の代官(地頭代)を務め、蝦夷管領の代官として「蝦夷の沙汰」を行った。安東氏の勢力は秋田方面にも及び、秋田湊に居を構えて湊安東を名乗る一族もあらわれた。安東氏の本流は、津軽十三湊(とさみなと)で「下国(しものくに)殿」を称し、また「日之本(ひのもと)将軍」を称して北条氏滅亡後、蝦夷管轄を担当したが、1432年(永享四)南部氏に追われて蝦夷地に逃れた。しかし、のちに檜山(秋田県能代市)にもどり、檜山安東を名のった。戦国末期に下国愛季(ちかすえ)が出て、秋田湊、檜山おのおのを拠点とする安東勢力を統一した。下国愛季の第二子実季(さねすえ)は、1589年(天承十七)居城を湊(秋田市土崎)に移し、秋田城介を名乗り、以後秋田を姓とした。

『東日流外三郡誌』によれば、厨川の戦いから落ち延びた安倍貞任の次男・高星丸は、津軽に逃れて後に安東太郎と名乗った。これが、津軽安東氏の始祖となったという。(安倍一族参照)

安東水軍■竜上13・37■

『東日流外三郡誌』に記される、安東氏が擁していたといわれる水軍。安東水軍は十三湊を根拠地に日本海を駆け巡り、津軽の繁栄は全アジアに広まったとされる。黄金の国ジパングとは、津軽の古名チパンルから生まれたものとも言う。義経一行が十三湊から船出してモンゴルに渡ったのも安東水軍の援助であるといわれる。

虹人は、『東日流外三郡誌』に描かれる津軽の歴史を、十三湖を一周する車の中で語る。

アンバサダー■竜下35■

インドの国産車の名前。カルカッタについた虹人たちは、昔のオースチンに似ているこのタクシーに乗って、チョーロンギー通りのフェアローン・ホテルに向かった。東がタクシー代を三十八ルピーに値切ったところ、「おまえさんだったら・・・・・・エイリアンとも交渉ができそうだ。」と虹人にいわれる。車内は、ガソリンの匂いとカレーの匂いが混合して窓を開けずにはいられなかった。

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イアンナ■新下244■

イナンナ。シュメールの女神。アッカドではイシュタルと呼ばれた。(イシュタル参照)

EMAモーター■新下84■

一九七三年に開発されたとされる永久機関。アメリカのエドウィン・グレイが発明した。彼の実験によると、モーターは一度スタートさせると、モーター自身が空間よりエネルギーを取り込む形で、燃料なしに三十二日間動いたという。この発明の直後、このモーターが何者かに奪われ、グレイ夫妻は行方不明となった。

ミトジの村が守っていた洞窟で、虹人たちは、イシュタルの先祖がムー大陸にいた頃に使用していた多くの機械を発見する。これらは、空間からエネルギーを取り入れて動くことをイシュタルに教えられる。

イザナミ■竜上262・新下150■

伊邪那美命。日本神話の女神。別天津神に引き続き出現する神世七代(かみよななよ)の最後に現れた。イザナミは、イザナギとともに島々や神々を作りなしたが、火の神を生んだために死ぬ。イザナミは、イザナギが黄泉の国を尋ねた時にはすでにウジがたかる死体となっており、恐れ逃げるイザナギを黄泉比良坂まで追うが、大石で塞がれて離別の言葉を言い渡された。

イザナミは、牡牛一族にとってルーツとなる女王であったが、富士山の爆発により地下王宮で被爆し、緑の培養液とともにガラスの玉子に封じ込められた。放射能に冒されたイザナの皮膚は焼け爛れ、片方の目は腫れた瞼によって潰されていた。純に感電させられた両面宿儺のために培養液のパイプを切られて、ガラスの玉子を破壊して出てきたイザナミは、両面宿儺を倒した後、虹人たちを追って来る。イシュタルは、ストーンサークルの立石を使って、地下王宮の出口をふさいだ。潰れた目、三メートルを越す巨体のイザナミは、富士山と密接な繋がりを持つ片目の巨人・ダイダラボッチに結びつくと虹人は言う。(ダイダラボッチ参照)

イザヤ■新下224・238■

古代イスラエルの三大預言者の一人。分裂王国時代の前八世紀にユダ王国で活動した。エルサレムの名門の出身と思われる。召命時に神の聖性にふれて贖罪を体験し、神の厳しい審判の言葉を国家と国民に告げる預言任務を直ちに受諾、使命預言の典型を示す。

虹人は、ハンムラビとマルドゥクに騙されたエンリルのバビロニアへの復讐を語った。エンリルは、騙っていた龍一族の名を捨て、彼本来の牡牛一族の名に戻し、ヤハウェと名乗ってイスラエルの民の前に姿を現わした。ヤハウェはイザヤにバビロニアの崩壊の具体的な預言を伝え、それをイスラエルの民に広めるように命じた。その時点ではバビロニアの栄華は抜きん出たもので、誰もこの預言を信じなかったに違いない。しかし、結果はその通りになり、イスラエルの民たちはヤハウェを畏怖した。ヤハウェはその瞬間からイスラエルの神になった、と言う。

イサライの井戸■竜下174■

秦氏の氏寺である太秦の広隆寺の脇に、かつては境内にあったという「伊佐良井」という井戸がある。名前の由来が不明であるこの井戸を、「秦氏=ユダヤ人景教徒説」を唱えた佐伯好郎氏は、「イスラエルの井戸」の転訛と指摘した。『旧約聖書』に「ヤコブの井戸」が登場するが、このヤコブはアブラハムの孫で別名イスラエルと言った。つまりヤコブの井戸はイスラエルの井戸と同じである。ヤコブの井戸は現在パレスチナにあり、教会が建っている。広隆寺とは、秦氏がそれを再現したものだという。

石神信仰■竜上84・101■

奇石や怪石を神体とし、安産・良縁などに霊験があるとされた民間信仰。石神とは、岩石に宿る霊を表現している。縄文時代中期には呪術的な意味をこめて大型石棒を住居の内部に立てることが多く、後世、これが石神として祭られることも多い。

『東日流外三郡誌』には、「石化(いしか)の神は天地の授けし神なり。山にあり川にあり海にあり、歩む路草の辺にあり」とあり、アニミズム的色彩の濃い信仰である。ツボケ族は、山川海辺の珍石を神よりの授けものとして祀ったという。

洗磯崎神社で、本殿の脇にある祠に祀られている岩を見ながら、虹人が石神信仰について語る。

石神山■竜上119■

青森県の山。昭和五十九年『サンデー毎日』の「大追跡日本のピラミッド」と題したドキュメント・リポートで、ピラミッドとして取材された。

虹人は、長野県の皆神山の真下に辿り着いたとき、このリポートについて説明している。

石河の瀬見■竜上128■

賀茂川の異称。山城の賀茂建角身(かもたけつのみ)の娘・玉依毘売命が、丹塗矢(にぬりや)を拾った川の名。この丹塗矢を枕元に置くとみごもり、別雷神を出産した。『釈日本紀』所引の『山城国風土記』逸文にみえる賀茂神社の縁起譚。

イシュタル■新上113・257・新下92・191■

シュメールの女神イナンナ(「天の女主人」の意)が、アッカドに伝えられイシュタルと呼ばれた。エンリルの子である月神ナンナルから生まれた金星神で、愛の女神であり、後には戦いの神にもなる。カナンのアスタルテ、ギリシアのアフロディテ、ローマのヴィーナスに相当する。イナンナ・イシュタルは楔形文書に最も頻繁に現れる女神で、その祭儀はウルク、キシュのほか多くの都市で見られた。神話では、イナンナとエンキ(エンキからメを奪う話、シュメール語)、ドゥムジと組み合わされたイナンナ(イシュタル)の冥界下りの物語(シュメール、アッカド両語)が有名である。象徴は古くは葦を束ねたもの、後には八角の星。

シャルケヌが虹人たちのテントに地図を持ってきて、どこから来たのかと訊ねた。虹人がアッカドで崇拝されている女神の名であるイシュタルを口にした途端、シャルケヌの頬が軽く痙攣した。

遺跡から出土したイシュタル像は、アメフトのヘルメットのような奇妙な帽子を被り、首の後に箱枕を背負っている。粘土板に刻まれたイシュタルの物語では、イシュタルは空を飛ぶ女神で、飛ぶためにいくつかの道具を用いたという。頭にステップのための王冠『シュ・ガ・ル・ラ』を被り、輝く筒を手にし、対の卵形ビーズを胸に結び、手首には黄金の腕輪を嵌め、薔薇色の服を着た。東はこれを聞いて、宇宙飛行士の格好とそっくりだという感想を口にした。

イシュタルは地上の王を夫に持ったが、その王は自らを天の龍の息子であると宣言している。

また、イシュタル賛歌の中で、イシュタルは暴風に乗って天に昇る人、恐ろしい輝きを発する人と絶賛されており、鹿角はUFO以外に考えられないと断言した。

虹人たちが訪れたプアビの生まれた町・ラルサにあるジッグラトのプールにはイシュタルが棲んでいた。虹人の想像通り、小人タイプのエイリアンであった。

イシュタルたちは未来を知りたくて船を飛ばし、虹人たちを招いたという。虹人たちは本当に過去のシュメールかどうかを確かめるために、縄文時代の日本に連れて行ってもらった。

シュメールはアッカドによって滅ぼされ、最終的にメソポタミアを支配するのはサルゴンである。しかし、サルゴンの母はイシュタル神殿の巫女であり、サルゴンが使えている神の名はイシュタルであった。シュメールが滅んでもサルゴンに託せば国の名は変わっても母体は同一となると虹人は考えた。そのためにイシュタルたちに一度海底基地への全面撤退を勧めた。

イースター島■新上257■

南太平洋、ポリネシア東端にある島。

虹人は、考古学者たちが、なぜイースター島のすべてのモアイが一定方向の海を見ていなければならないのかという疑問にはいっさい答えずに、当時の技術では可能だったとのみ答える態度に、疑問を投げかけている。

イスタンブール■竜下185■

トルコ西端、ボスポラス海峡を隔てアジアとヨーロッパにまたがるトルコ最大の商業・文化都市。

虹人たちは、モヘンジョ・ダロでの戦いの後、車でカラチにもどり、そこからパリを経由してイスタンブールへいった。そしてイスタンブールから汽車でアンカラへと向かった。

泉小太郎伝説■竜上156■

龍の子太郎の童話として有名。小太郎の母は、諏訪大明神の化身で、その力を借りて水路を越後の海まで切り開き、それまで湖だった筑摩・安曇を平野に変えたという伝説。

玉依毘売神社に残る古文書の龍の話と類似した伝説として、虹人が語る。

出雲■竜上36■

島根県の東部の地域。出雲の東部、意宇(おう)平野には四世紀末から五世紀に、方墳や前方後方墳という特色ある古墳文化が発達した。この意宇の王が、五世紀末〜八世紀前半に出雲全域にわたる地域国家を形成した。しかし、六世紀後半、出雲に進出したヤマト国家の勢力は、意宇の王を東西から制圧し、出雲地域の王はヤマト朝廷のもとの国造(くにのみやつこ)となった。この出雲国造は、中央から来任する国司とは別に、出雲大社・熊野神社をはじめ国内諸社の祭祀に当たりつづけた。この点が、出雲国の特殊性を物語っている。

虹人は、龍がロケットであるという自説に基づき、龍信仰を追って出雲に向かう。そこで、出雲大社が神社として建造されたのではなく、大国主命を幽閉する目的で建てられた牢獄だという仮説を立てる。また、ヤマタノオロチ退治の伝説を、須佐之男命が龍信仰をもつ一族を滅ぼしたという意味に解釈する。虹人は、須佐之男命が天降ったとされる鳥上山=船通山の麓に、UFOと繋がりがある玉子神社、龍駒の地名、須佐之男命を祀る鬼神神社、手名椎、足名椎神社をみつけ、このことから、須佐之男命の飛来が事実であると確認する。さらに、目一鬼(まひとつおに)の伝説がある阿用と、須佐之男伝説が残る海潮温泉の近くに、巨大なロケットを埋めたような形の船岡山があることを知り、蔭山優紀を使った陽動作戦で鹿角を追い詰め、今後手出しをしないという条件を飲ませる。

出雲大社■竜上242■

島根県簸川(ひかわ)郡大社町に鎮座。大国主神を祀る。『古事記』では、国譲りした大国主命のために多芸志(たぎし)の小浜に立派な宮をつくったとあり、『日本書紀』ではこの宮を天日隅宮(あめのひすみのみや)と呼んでいる。『古事記』では、大国主命が国譲りをする条件として、「大磐石に柱を太く立てて、大空に棟木を高く上げて宮を作るように」と要求したとされる。出雲大社の高さについては、社伝が「上古三十二丈」(古代96m)「中古十六丈」(平安期48m)と伝え、970年(天禄一)の「口遊(くちずさみ)」も、当時の巨大建築物として「雲太」(出雲大社)「和二」(東大寺大仏殿)「京三」(平安京大極殿)の順に記している。昭和30年、福山敏男氏は、平安時代後期から鎌倉時代初期の神殿の構造を書いた絵図「金輪造営図」をもとに神殿を図面で復元し、高さ十六丈(48m)、階段の長さ一町(109m)という巨大神殿であったと発表した。しかし、研究者の多くは「古代の技術で50m近い建造物を築くことは困難」として、この復原図を疑う見方が強かった。ところが、2000年3月、出雲大社の境内で、平安時代後期から鎌倉時代初めの巨大神殿跡とみられる遺構が見つかった。この出土状況が「金輪造営図」に記される三本の部材を金属の輪で束ねた柱の形に一致したため、「金輪造営図」をもとにした復元図の信憑性が高まり、出雲大社には48m以上の巨大神殿があった可能性が高いとみられている。

虹人は、出雲大社は、神社として建造されたのではなく、大国主命を幽閉する目的で建てられた牢獄だと考える。神社として建造されたのではないため、扉も正面についていおらず、拝殿との関係も無視された。内部も細かく仕切られ、監視兵が常駐し、大国主は奥の小部屋に押し込めらていたと推測する。建物を異常に高く拵えた理由は、救出の危険を避けるためと、大国主命の命を預かっていることを誇示するためであり、牢獄だと考えれば、大国主命が死んだ後、大社の規模がしだいに縮小された謎も解けると言う。忌まわしい建物を神社にした理由は、怨霊の出現のためであり、本殿に祀られた最高の力を持つ五柱の神は、怨霊の封じ込めの役目を持った神であると語る。

出雲国風土記■竜上220■

出雲国に関する郷土誌的文書。733年(天平五)に成立。現存する風土記のなかで、首尾一貫した唯一の完本である。実用主義的な見地から編集された地誌であり、道のりや橋の長さ等が細かく記載され軍事的要素が加味されている。ヤマタノオロチ伝説などの『記紀』の中で語られる出雲神話は、『出雲風土記』の中に見出すことができず、『記紀』と共通して登場する神にも、おなじ物語が見当たらない。また、他の風土記は国司が中央への報告という形をとっているが、『出雲風土記』の作成は中央系役人の手を借りず出雲国造の一族がこれを担当しているという特色がある。

虹人は、『出雲国風土記』に、斐伊川には木材を運ぶ大型の船が往来しているとはっきり明記されているので、ヤマタノオロチ退治を肥河の治水ととらえて、ダムを造ったとする解釈は考えられないと語る。

ィツキ■新下258■

シュメール語で、ィトゥは月、キは都市で、月の都このと。

虹人は、正確には月の内部に存在する都市を表すこの言葉が、「月」の語源だと考えている。

稲田神社■竜上240■

島根県横田町の櫛名田毘売(くしなだひめ)(稲田毘売(いなだひめ))を祀る神社。

虹人たちは、飛行機で出雲に着いた翌日、出雲大社、須佐神社、船通山、稲田神社、亀嵩を巡った。

因幡の白兎■竜上44・255■

『古事記』の出雲神話に登場する兎のこと。淤岐(おき)の島にいた兎が、気多(けた)岬(鳥取市白兎(はくと)海岸)へ渡ろうとして、鰐(わに)を欺いて並ばせた。それを橋にして渡りきろうとしたとき、兎が「お前は私にだまされた」と言ったため、最後尾の鰐に捕えられ衣服を剥がれてしまう。そして通りかかった八十神(やそがみ)にさらに痛めつけられ泣き伏していたところ、大穴牟遅(おおあなむぢ)の神(のちの大国主神)に、治療法を教えられ救われる。そこで兎は、八十神ではなく大穴牟遅が因幡の八上比売(やがみひめ)と結婚すると予言し、この予言が的中する。この兎は「兎神(うさぎかみ)」として信仰を得たという。

虹人は、兎が予言をしていることに注目し、兎は神かもしれないと考える。皮を剥がされた兎の皮膚はつるつるで、目玉は大きく、口許がすぼまって、耳が長い。古くから目撃例の多い小人タイプのエイリアンに瓜二つである。白兎の話以来、大国主命は選ばれた人物として活躍をはじめる。つまり、大国主命は、白兎=エイリアンに選ばれ、エイリアンと手を結んで、出雲支配をなし遂げたと推測する。

弥栄■新上105■

いよいよ栄えること。祝詞や聖書で使われる神を称える言葉。

なぜ、弥栄と唱えなければならないのかについて虹人は、弥栄を音読みにすればヤーウェイとなることから謎が解けると言う。つまり、「いやさか」はヤーウェイを漢字に直し、日本的に読んだためにできてしまった無意味な熟語であると述べる。また、八坂神社は、古くは弥栄神社といったことから、牡牛の神を祀る八坂神社は、とてつもない古い時代に創立された教会だったと推測する。

岩木山■竜上36・44■

青森県西部、津軽平野南西部に位置する二重式火山。津軽富士の別名がある。岩木山は津軽の総氏神的な存在である。

『東日流外三郡誌』によれば、岩木山の古称は「アソベガモリ」、または「ユキキヤマ」であるという。アソベガモリというのは、岩木山の噴火出現のために壊滅的な打撃を受けたアソベ族を偲んでの名であるという。

岩木山信仰■竜上44■

津軽の霊山・岩木山に対する信仰。『車力村誌』には、岩木山の祭神を、「竜飛比売命(たっぴひめのみこと)」としているが、竹内建氏はこれを、女神としての竜蛇神であると述べている。さらに、佐治芳彦氏は、タッピという語自体は、アイヌ語のtappi(石)の訛りでないかと思われ、岩木山の神は、イシカホノリ(石神)と蛇神の集合とも解される。すなわち「石」を意味する「タッピ」に「蛇」示す「竜飛」の語を当てたものかと思われると述べている。

虹人は、岩木山の麓に暮らしていたアソベ族とツボケ族にとって、岩木山は最大の神であったと考え、現在もその信仰は受け継がれ、人々からお岩木さまとして親しまれていると語る。

岩木山神社(いわきやまじんじゃ)■竜上48■

青森県中津軽郡岩木町に鎮座。顕国玉神(うつしくにたまのかみ)(大国主命の別名)、多都比売神(たつひめのかみ)、宇賀能売神(うかのめのかみ)、おおやま大山ツミ神(おおやまつみのかみ)、坂上苅田麻呂命(さかのうえのかりたまろのみこと)をまつり、桓武朝に坂上田村麻呂が創建したと伝えるが、本来は岩木山自体を神とする信仰に発している。

磐石、磐座信仰■竜下73・278■

神が降臨する岩石を崇拝する信仰。各地の神社に降臨石・影向(ようごう)石などが残っているが、これも磐座の一種である。

虹人は、出雲には古くから磐石信仰があり、これも龍一族の特徴であると話す。なぜなら、龍の文化を支えていたのは鉄であり、そこから、鉄を生み出す鉄鉱石への信仰が広まったからであると述べる。

殷■竜上45■

中国古代の王朝名。殷王朝は、『史記』によると成湯天乙(いわゆる湯王)が、夏王朝の桀(けつ)王を倒して滅ぼし創設したといわれる。夏王朝の存在は確認されないが、甲骨文の発見によって殷の存在は確認され、王朝の創立は前17世紀末もしくは前18世紀初と推定される。殷王朝は第三十代紂(ちゅう)王まで続いたが、前1050年、周によって滅ぼされた。殷の文化で最も特筆すべきことは、青銅器の鋳造と文字の使用である。

中国では殷の時代に、龍が王家を象徴する存在となった。中国大陸から津軽にきたツボケ族が同様に龍を神聖なものと意識していても不思議ではないと虹人は言う。

インカ■竜上41・新下77■

15世紀から18世紀初めにかけて、南アメリカのインディオが、ペルー南部高原にあるクスコを中心に、アンデス一帯に建設した高文明の帝国。首都クスコには、太陽信仰のための諸神殿、宮殿や公共建造物、住宅、広場、街路が配置された。こうした都城設計の完全な姿は、1911年にH.ビンガムにより発見されたマチュ・ピチュ遺跡にうかがうことができる。石造建築技術は高度で、一分のすき間もない切石積みのみごとさは他に例をみない。

津軽で石垣すらない福島城跡をみて失望した有明蓉に、東は、インカにしても、たまたま遺跡が発見されたから、高度な文明が存在したと確認できると語る。

インダス川■竜下54■

インド亜大陸北西部の大河。全長約2900km、流域面積約960000平方km。チベット高原南西部のカイラス山脈に発し、カラチ南東方でアラビア海にはいる。

カルカッタのフェアローン・ホテルの食堂で昼食をとりながら、虹人は『リグ・ヴェーダ』の中の「インドラの歌」について解説する。そしてインドラは、七つの支流を持つインダス川の治水に成功した喜びが反映されて創造された神ではないかと研究者たちが思っていると語る。

インディ・ジョーンズ■新上91■

ハリウッド映画の二大巨匠であるスティーブン・スピルバーグとジョージ・ルーカスが手がけた映画シリーズ。第一作が『レイダース〜失われた聖櫃(アーク)』である。中東を舞台として、ハリソン・フォード扮するインディアナ・ジョーンズ博士とナチスとの、契約の聖櫃をめぐる熾烈な争いが展開する。

インドラ■竜下41■

仏教名は帝釈天。『リグ・ヴェーダ』における最高神的地位にある。全賛歌の約四分の一が彼に捧げられている。インドラは元来、雷霆(らいてい)神の性格が顕著で、ギリシアのゼウスや北欧のトールに比較される。『リグ・ヴェーダ』においては、暴風神マルト神群を従えてアーリア人の敵を征服する、理想的なアーリア戦士として描かれている。中でも、工巧神トゥヴァシュトリの造った武器ヴァジュラ(金剛杵)を投じて、水をせき止め旱魃を起こしている悪竜ヴリトラを殺す彼の武勲は、繰り返したたえられる。このため、彼は「ヴリトラハン(ヴリトラを殺す者)」と呼ばれる。

インドラの名は、イランの勝利の神ウルスラグナに対応するから、武勇神インドラの崇拝は、アーリア人のインド侵入以前に遡ると考えられる。

虹人はインド神話を読んでいるうちに奇妙な気持ちに襲われたという。全体の構造が出雲神話と瓜二つであるからだ。征服者はインドラと須佐之男命。征服された側から誕生する新たな英雄は仏陀と大国主命。仏陀はヒンドゥーの神として、大国主命は天孫系列に取り込まれた。最後が国譲りで、シヴァと建御雷神である。

また、『インドラの歌』でインドラは悪龍ヴリトラを退治するが、虹人は、悪龍とは明らかにアーリア人に対抗した人々を言い表わした言葉であり、インドラの「雲間に雷光を生む戦いの猛者」という描写はロケットの比喩だと考えた。

陰陽石■新下105■

男女生殖器の形の石で、道祖神、塞(さえ)の神として祀られたり、奉納される場合が多い。陽石のみが祀られる例が多いが、陰陽が組になったものは中部・関東地方に分布している。陰陽石は村境に祀られることが多く、邪気や外敵の侵入を防ぐものとされるが、これは男女の生殖器が潜在的に強力な呪力をもつという信仰によるものと考えられる。また、その形態から安産、子育て縁結びの神として信仰される例も多い。

富士の地下王宮の入り口を捜して、麓のストーンサークルの近くに降り立った虹人たちは、二つの立石が陰陽石であることに気づく。「陰陽石がストーンサークルの正体とはね」という東の言葉から、虹人はストーンサークルの謎を解いていく。(ストーンサークル参照)

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ヴァジュラ■竜下49■

インド神話で、工巧神トゥヴァシュトリの造ったインドラの武器。金剛杵。

虹人は、電撃や執金剛という言葉が的確に物語っているように、ヴァジュラとは小型のミサイルだと思うと話す。

ヴァチカン■■

ローマ市のテベレ川右岸にあるローマ教皇を元首とする世界最小の国家。カトリック教会の首長たるローマ教皇が、他の国家の制約をうけることなく、自由に宗教上の権限を行使するのを保障する目的で組織された国家で、通常の国家とは機構も性格も違っている。市国の行政は教皇庁国務省の管轄下にあり、また外交に関しては教皇庁外務評議会がその担当機関で、国連ではヴァチカン市国の名の代りに聖座 The Holy See の名称が使われている。

ヴァラ■竜下51■

インドラの歌に出てくる悪魔の名。

ヴァルナ■竜下49■

ヴェーダ神話でインドラに次いで重要な神。典型的なアスラであり、その神性はイラン神話の最高神アフラ・マズダに対応するとされる。ギリシアの天空の神ウラノスと語源的に関係があるとする説もある。ヴァルナの名はインドラ・ミトラ・ナーサトヤとともにミタンニ・ヒッタイト条約文に挙げられており、小アジアにまで知られていた神であることが分かる。ヴァルナはインド・イラン共通時代の最高神であったと推測される。宇宙の秩序と人倫を支配する司法神で、天則リタの守護者である。後に単なる水の神、海上の神の地位に落ち、仏教にとり入れられて水天となった。

ヴィシュヌ■竜下37■

ヒンドゥー教の主神の一つ。『リグ・ヴェーダ』では、全宇宙を三歩で闊歩したとたたえられている。これは、太陽が東の地平から出て、中天に達し、再び西の地平に没することを歌ったと考えられる。

このヴェーダの太陽神は、ヒンドゥー教において、ブラフマー、シヴァとならぶ三大神の一つとなった。

シヴァが山岳と関係あるのに対し、ヴィシュヌは海洋と縁が深い。太古、ヴィシュヌが音頭をとり、神々とアスラたちは、大海を攪拌して不死の飲料甘露(アムリタ)を得ようとした。ヴィシュヌはその際に海中から生じたシュリー・ラクシュミー(吉祥天女)を妻とし、宝珠カウストゥバを首に懸けた。彼はアムリタを盗もうとしたラーフ(日食、月食を引き起こす悪魔)の首を、その武器である円盤(チャクラ)で切った。また、蛇族の奴隷から開放されるためにアムリタを運び去ろうとした、巨鳥ガルダと友情を結び、乗物とした。ヴィシュヌは、大蛇シェーシャ(アナンタ龍王)を寝台として海上で眠る。

ヴィシュヌの円盤■竜下44■

ヴイシュヌの武器。チャクラ。誕生したドゥルガーにヴィシュヌは円盤を与えた。

ヴィマーナ■竜下48■

インド神話に、神々の乗り物としてヴィマーナという飛行機が出てくる。

『人類は核戦争で一度滅んだ』によれば、サンスクリット語で「ヴィ」は飛行、「マーナ」は住居の意味だという。『ラーマーヤナ』には、ヴィマーナは決定的に威力を持つ兵器であり、金属製で、超音速(考えるのと同じ速さ)で空中を思うままに飛行したという記述がある。『ヴィマニカ・シャストラ』という操縦マニュアルが存在し、そこに記載されている通りに描いたデザイン画は、カプセル宇宙船そっくりだという。

鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)■竜上124・129■

記紀神話に登場する神。山幸彦とも呼ばれる火遠理命(ほおりのみこと)と海神の娘豊玉姫の子。鵜の羽で葺(ふ)いた産屋(うぶや)がすべて葺き終わらぬうちに生まれたための名であるという。この神は豊玉姫の妹である玉依姫(たまよりひめ)をめとって神武天皇を生む。

「東海出雲説」を説明するときに、虹人は『古事記』を引用する。そこに、鵜葺草葺不合命の子である御毛沼命が「波の穂を跳(ふ)んで常世国(とこのよこく)に渡りまし」とあった。

海潮神楽■竜上238■

島根県大原郡大東町にある海潮温泉でおこなわれる能や謡曲の形式をとり入れた神代神楽。須佐之男命のヤマタノオロチ退治を中心にして、出雲神話を神楽に仕立てたもの。海潮温泉は斐伊川支流の赤川上流域に湧出する山あいの温泉で、須佐之男命が須賀に行く途中で立ち寄って、温泉に入ったという伝説がある。

空港から大社町の竹野屋旅館に行くタクシーのなかで、虹人たちは運転手から海潮神楽のことを教えられる。

ウッドサークル■新下58■

巨大な木をサークル状に建てたもの。能登で発見された縄文時代の遺跡に、ウッドサークルの痕跡がある。柱の高さは最低でも十メートル以上あったと推定され、神に犠牲を捧げる祭壇ではなかったかと推測されている。

ミトジの村の中心には、十本近くの巨大な柱を組み合わせた円筒状の塔があり、その屋根は鉛筆の先のように尖っていた。その塔は、紛れもなくロケットを象っており、虹人は、龍の柱と表現する。鹿角は、イスラムのモスクの尖塔のようだといい、虹人は、インドのストゥーパ、諏訪の御柱の原型であると言う。さらに、出雲や東北に多い日吉(ひえ)神社の鳥居は、大きな鳥居の上に小さな鳥居が載っており、上の鳥居には、尖った屋根が被せられており、遠目には尖塔に見えると語る。

うつろ舟■竜下285■

享和三年(1803)、常陸国(茨城県)の原舎(はらやどり)浜に漂着した円形の船のこと。この船は、直径三間(約5.4m)ほどで、上部はガラス張りで、底部も丸く鉄板を筋のように張ってあり、継ぎ目は松脂で塗り固められていた。中には女が一人乗っており、顔は桃色で、眉と髪が赤く、背には白い付け髪のようなものが垂れていた。言葉はまったく通じず、二尺(約60cm)の四角い箱を大事そうに抱えていた。船の中には、図形のような異国文字が記されていた。

夷が乗っている船の名前が「うつろ舟」であり、これは夷がエイリアンだと示す逸話であると虹人は言う。

ウトナピシュティム■竜上327■

ギルガメシュ叙事詩に登場する、永遠の生命を得たという人物。ウルクの王であるギルガメシュは、永遠の生命を求めてさまよい、ウトナピシュティムを探し当てる。そして、その秘密を尋ねると、彼はその昔生じた大洪水の話と、その時エア(エンキ)神の教えに従って箱船を作って助かったことを語る。しかし彼自身も、永遠の生命を得た理由は知らなかった。

有明蓉の友人・森下信子が、ノアノ方舟捜索隊に参加しアララト山で遭難した兄の死の真実を突き止めたいと虹人を訪ねた際に、虹人はノアの方舟の基になった話が、バビロニア神話にあることを語った。

宇麻志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじのかみ)■竜上249・新下78■

日本神話の神の名。別天津神(ことあまつかみ)の一柱。『古事記』では、国ができたばかり、水に浮いた脂のようであり、水母のようにふわふわと漂っているときに、泥の中から葦が芽を出してくるような勢いの物によって出現したとある。出雲大社に祀られている(別天つ神参照)

馬の首星雲■新下199■

馬頭星雲。オリオン座の三つ星のいちばん東側に広がる馬の頭のような形をした暗黒星雲。

全面撤退する前に、イシュタルはラルサのジッグラトのプールの底にある部屋に、機械と記録類をとりに戻った。フロッピーのような美しい金属板をセットすると、壁に色鮮やかな星座図が出現し、イシュタルがパネルを操作すると右端にあった星雲が一瞬にして拡大された。それは、馬の首星雲であった。

宇美神社■竜上196■

島根県平田市平田町鎮座。

諏訪大社下社の喫茶店で、出雲ではなんという神社を調査するのかと奈穂美と順子に聞かれ、虹人はこれから調べると嘘をついた。出雲であれば須佐之男命の出生地とされる平田の宇美神社や須賀の須賀神社がターゲットであり、そこに龍との関連を見つけることができれば面白いと思った。

浦島太郎■竜上190■

室町時代成立の御伽草子。この基となった浦島伝説は古く、『日本書紀』、『万葉集』、『丹後国風土記』にみられる。『丹後国風土記』逸文所載の「水江の浦嶼の子」の説話は、宗像系潜水漁労民の間に伝承され、のちに阿曇系や住吉系漁労民にも受容されて、広域に分布するにいたったと考えられている。浦島説話と同型の話は、朝鮮、台湾、中国、チベットなど東アジアや東南アジアの諸国にも分布している。なかでも中国の洞庭湖周辺の伝承は、日本の浦島説話とも非常に似ているところから、浦島説話の原郷土を探るうえで重要な位置を占めている。

虹人は、浦島太郎が連れて行かれた龍宮は海の底にあり、またUFOの目撃場所が圧倒的に海岸線と海に近いところが多いことから、水の神とも呼ばれる龍は、普段は海の底に潜んでいると考えている。南波は「亀の甲羅までもがUFOを意味するように思えてきました」と語る。

ヴリトラ■竜下49■

「障碍」を意味する悪蛇。障碍とは、水を妨げるもので、山の中に水を堰き止めて旱魃や悪天候を起こす。インドラはヴァジュラ(金剛杵)を投じて、悪龍ヴリトラを倒したため、「ヴリトラハン(ヴリトラを殺す者)」と呼ばれる。

虹人は、悪龍とは明らかにアーリア人に対抗した人々を言い表わした言葉であるという。また、足なく手なきヴリトラとあるように、『インドラの歌』や『アシュヴィン双神の歌』に描かれるヴリトラ、つまり龍とは、ロケットの比喩だとする。

ウル■新上277・新下177■

メソポタミア最南部、シュメールの地に存在した古代都市。アブラハムの家郷である。

ウルのジッグラトは最も保存が良い。基底部が60m×45mで、現状では二段しか残っていないが、三段の基壇上に月神ナンナルの神殿があったと推測されている。

シャルケヌはラルサの王に「ニプルの次はウルだ」と牡牛軍の次の攻撃目標を教えた。自分たちが居る惑星が地球ではないと思っていた虹人たちは、シュメールの町の名に驚いた。

縄文時代の日本からシュメールに戻ってきたイシュタルと虹人らは、ウルの町を目指した。

ウルク■新上277■

メソポタミア最南部の古代都市で、シュメールの中心都市の一つ。「シュメール王朝表」によれば、「大洪水」の後、キシュ第一王朝につづいてウルクの諸王がシュメール内外に覇を唱えた(ウルク第一王朝)。叙事詩で有名なギルガメシュもこの王朝の王である。初期王朝三期後半にもウルクは有力都市であった。ルガルザグギシはウンマからウルクに拠点を移してシュメールを軍事占領するが、アッカドのサルゴンに敗北する。

シャルケヌはラルサの王に「ニプルの次はウルだ」と牡牛軍の次の攻撃目標を教え、王はウルクやラルサを飛び越えてウルを攻撃するということに愕然とする。

ウルザババ■新上315■

シャルケヌが仕えている男。神は人を道具としてしか見ていないためにウルザババのような無能な男に国を任せているのだとシャルケヌは言う。

「シュメール王名表」によれば、サルゴンの公的経歴は、キシュの王ウルザババの酒杯官に始まる。サルゴンはウルザババを取り巻く高級官僚に亀裂を入れ、ルガルザグギシのスパイがキシュの宮廷に入り込んでいるとの噂を流した。ウルザババの母親がもと居酒屋の女将であったこともあってキシュの人々は疑心暗鬼になり、遂にウルザババは追放される。

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エア■竜上327■

シュメールの淡水神エンキに当たるバビロニアの神。知恵と呪法の神、創造の神、宇宙と社会の諸規則の管理者でもあった。マルドゥクの父。エアは人類に対して終始一貫して好意的であり、たとえばバビロニアの洪水神話の主人公で旧約聖書のノアに当たるウトゥナピシュティムにひそかに洪水の警告をした。象徴はヤギの頭をもった魚。

エクソシスト■竜下174■

一九七三年に上映された、ウィリアム・フリードキン監督の怪奇映画。少女にとりついた悪魔と、悪魔祓いの神父の対決を、スペクタクルとして描いて大ヒットとなった。この映画は従来の怪奇映画の印象を一新し、一流大作のイメージにまで高めた。また、一連の「神対悪魔」物の先鞭をつけ、「オカルト」なることばを日本にも定着させた。

メソポタミア流域に暮らしていたイスラエルの人々は、神が出現するまで、後に邪教と虐げられるバアル神を崇拝していた。これは、イスラム教にも共通した悪魔であり、エクソシストの導入部の遺跡発掘の場面で掘り出された偶像が、バアル神であると虹人は説明する。

エーゲ文明■竜下197■

前3000年(ないし前2800年)頃から前1200年頃に、エーゲ海周辺地帯を主域として栄えた青銅器文明。

南波と信子が、アナトリア古代文明博物館の青銅製の遺物や、土器の模様がエーゲ文明と同じ雰囲気であるという感想を持つ。

エジプトからの脱出■新下227■

旧約聖書の一書『出エジプト記』に記される、モーセの指導によるイスラエル人のエジプト脱出のこと。『出エジプト記』によると、ヤコブ一族が飢饉を逃れてエジプトへ移住し子孫を増やしていたが、やがてエジプト人の奴隷となって苦役に服するようになった。このとき、南パレスティナに逃亡していた羊飼いのモーセは、ある日、神ヤハウェの顕現に接し、同胞の解放者としての使命を与えられてエジプトに戻り、ヘブライ人を率いてエジプトを脱出した。その際ヤハウェは、昼は雲の柱、夜は火の柱をもって民を導き、また海を退かせて民を通らせ、海水の逆流によってエジプト軍の追跡から民を救った。また、シナイへの旅の途中、苦くて飲めない水を甘い水に変え、飢えて不平を言う民のために空からマナを降らせた。

虹人は、ヤハウェがイスラエルの民の信頼を勝ち得た最大の理由は、モーゼを指導して成功させたエジプトからの脱出であり、ヤハウェはエジプトを敵と見做させることによって、自分への信仰を強固にさせてきたと語る。

エズルアンキ■新上72■

シュメール語で、ジッグラトのこと。天と地の絆の家の意。

シャルケヌたちの野営の陣営で、虹人たちは40cm四方の黄金のレリーフを見せられたが、そこに描かれたジッグラトをシャルケヌはエズルアンキと言った。

エゼキエル■竜下84・新下238■

ユダ王国末期の預言者。元来エルサレムの祭司の一員であった。前597年の第一回バビロン捕囚によって、バビロンへ移された。前593年幻を見て預言者となり、ユダ王国とその都エルサレム、そしてその神殿が、神に対して犯した罪のゆえに滅ぼされることを預言した。前587年エルサレムが占領され、翌年には神殿が破壊され炎上したということが伝えられると、エルサレムとユダ王国の回復と再建のための預言活動を始めた。

虹人はカルカッタで、エゼキエルが書き残した神の描写と、シヴァの前身であるルドラ神の描写に共通性が見られると語る。

40000年前のシュメールで、エル・ヒッパへ向かおうとしていた敵の船をビームで捕えたまま、虹人は和解策を検討する。神は策謀に長けている、血を流す策より和解策を受け入れるはずだと鹿角が言うと、虹人は、牡牛の一族が人類に行なった最大のペテンとして、バビロンの一件を話し出す。

ヤハウェは、イスラエルをバビロニア帝国のネブカドネザル二世によって滅ぼさせ、民をバビロンに捕虜として連行させた。イスラエルの民が自分らの罪を大いに悔やむと、ヤハウェは、一転してバビロニアは必ず滅びてイスラエルの民が許される日がくると預言する。その言葉を伝える役割を与えられた一人がエゼキエルである。捕虜としての生活を送っているエゼキエルのもとに、ヤハウェはUFOを派遣して数々の幻を見せた。イスラエルの滅亡が神の意思であったと納得させるために、ヤハウェはエゼキエルをUFOに同乗させ、自分たちがイスラエルを炎の町にしていくところを目撃させたと虹人は語る。

エドヴィン・グレイ■新下84■

EMAモーターの発明者。この発明の直後、モーターが何者かに奪われ、グレイ夫妻は行方不明となった。

夷■竜下281■

@異郷から漂着、来臨する神。七福神の一神。もとは漁民の神で、海底の石、漂着物、寄り鯨などを夷として祀った。また、漂流する水死体を拾うと、豊漁に恵まれるといった伝承があり、流れ仏をえびす様と呼ぶこともある。兵庫県の西宮神社の祭神・夷三郎は、生後三年経っても足が立たず、海に流されてしまった蛭子神である。

Aえびすの語は「えみし」とともに異民族を意味し、夷、戎、辺などの字が当てられている。古くは東北地方の蝦夷だけでなく、海辺や島などの辺境に住む者たちをも「えびす」と称していた。

虹人は、イザナギ・イザナミの長男でありながら不吉な存在として追放された骨なしの蛭子が夷であると説明する。水死体が夷と言われるのは、ヒルが真っ白でぶよぶよしていることと、蛭子=夷が海からやって来たためであり、日本海側の漁師は現在でも、見知らぬ水死体を「えべっさん」と呼ぶ。これは、夷には、別の世界から来たという意味があるからで、中国で外国人を意味する文字である「夷」を蛭子に当て嵌めたのもこのためである。

夷の正体は、一般的には事代主神と言われている。イザナギ、イザナミの子である夷の正体が、なぜ大国主命の子・事代主神とされるのか。それは、夷が高天原から追放された神であるからだと虹人は考える。夷は、地上に降りて人間に知恵を与えた。彼らは、龍と呼ばれ、文化の指導者となった。しかし、天上の神たちは龍を許さず、彼らは悪魔とそしられ、夜叉と嫌われ、夷と罵倒されたと言う。

夷のもう一つの正体は、毘沙門である。毘沙門とは、モヘンジョ・ダロを建設したクベーラであり、龍の一族を率いる神である。毘沙門はまた、鉱山師や鍛冶職人が信仰する神でもある。このことから、夷の金と書く「銕」の謎が解けると虹人は言う。毘沙門が鉄を製造したならば、夷もまた鉄を作った神であるといえると述べる。

さらに虹人は、因幡の白兎と夷の共通性について言及する。それは、白兎がいた隠岐島には夷の漂着伝説が多数あり、対岸の出雲の美保関には夷を祀る美保神社があること、夷と白兎はどちらも海を渡ってきたこと、どちらも白くてぶよぶよした皮膚をもつこと、さらには、白兎が小人タイプのエイリアンである可能性があるように、夷にもエイリアンだということを示す逸話があることである。その逸話とは、夷の乗っている船の名である「うつろ舟」という言葉を、江戸時代に出現したアダムスキ型の円盤に対して当時の人が用いたことである。また。海中から拾った石が、全国の夷神社のご神体として祀られているが、たいていが真っ白で、てっぺんが尖って、ロケットを連想させる。夷という文字は大きな弓と分解できるが、空に尾を引くロケットの軌道を地上から見上げれば、正しく大きな弓に思えただろうと虹人は語る。

そして虹人は、蛭子の次に生まれ同じように海に捨てられた淡島の正体が少彦名神であることから、夷と少彦名神が兄弟だったと推測する。つまり、夷と少彦名神と白兎はエイリアンであり、大国主命を指導し、製鉄技術を伝えた神である。(因幡の白兎参照、少名毘古那参照)

エベレスト■新下19■

ヒマラヤ山脈中央にあり、ネパールとチベットの国境にそびえる世界最高峰。標高8848m。

イシュタルの円盤に乗って、日本へと向かった虹人たちは、出発して二時間後、雲の海に小さな頭を覗かせている尖った山を、エベレストと確認する。

エホバ■新上106・新下223■

旧約聖書の神の呼称。ヤハウェと同義。ユダヤ教では神名を唱えるのを避け、聖四文字YHWHにそれと無関係の母音符号を付し、多くの場合「アドナイ(主)」と称した。エホバという呼称は、この習慣を忘れた16世紀以来のキリスト教会の誤読に基づく。(ヤハウェ参照)

蝦夷■竜上211■

日本古代の国家形成にあたり、その統一政治・統一文化の支配に抵抗した東日本・北日本の人たちのこと。朝廷に従わないまつろわぬ民をさす。蝦夷という言葉は、未開・野蛮な人をさす中華観念にもとづいている。

宗像剛蔵は、蝦夷とは中国で言う夷狄、すなわち未開の野蛮な外国人の意味であり、これは、征服王朝であるニホンが、ヒノモトの新たな中心となった東北に対して用いた蔑称であると語る。

蝦夷征伐■竜上211■

蝦夷の抵抗を排除し征服して、これを統一国家の支配の中に編成していくこと。

宗像剛蔵は、ニホンが蝦夷討伐の先頭にたつ者を征夷大将軍と名づけ武門の最高位に位置づけのは、ヒノモトが強大な国家であったからであると述べる。

エルサレム■新下233■

イスラエルとパレスティナにまたがる都市。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共通の聖都。前1000年ころ、ダビデ王がエルサレム南東の丘の要害シオンを征服して「ダビデの町」と名づけ、エルサレムはイスラエル王国の首都となった。ダビデの死後王位についたソロモンは、ダビデの町の北側に延びるモリヤの丘に、王宮やヤハウェ神殿を建て、エルサレムは政治的だけでなく宗教的にも国家の中心となった。ソロモンの死後イスラエル統一王国が南北に分裂すると、エルサレムは南のユダ王国の首都となる。前586年、ユダはバビロニアのネブカドネザル王の率いる軍隊によって征服され、エルサレム全市が破壊されて炎上、人々はバビロニアの地に連れ去られる。前538年、ペルシアのキュロス王がユダの民のパレスティナ帰還を許可すると、捕囚された人々の一部はエルサレムに戻り、ヤハウェ神殿の再建にとりかかった。前515年工事は完了し「第二神殿」時代が始まる。

虹人は、預言者エレミアが、エルサレムのすべての住民に告げたという『エレミア書』の記述を思い浮かべながら、東たちに細かく説明した。

エルズルム■竜下288■

トルコ北東部、アルメニア地方にある県都。ユーフラテス川の水源に近く、3000mをこえる連山にかこまれた標高1869mの高原に位置する。

アナトリア高原を車で転々としていた南波たちと、ローマに向かった虹人たちがここで落ち合った。アララト山には距離にしてわずか五百キロ。大都市なのでアララト山に登るための装備の調達にも都合が良かった。

エル・ヒッパ■新下200■

ウルやウルクに食糧を供給している小さな町。常駐する施設もない。

4000年前のシュメールで、エル・ヒッパへ向かおうとしていた敵の船をビームで捕えたまま、虹人は和解策を検討する。神は策謀に長けている、血を流す策より和解策を受け入れるはずだと鹿角が言うと、虹人は、牡牛の一族が人類に行なった最大のペテンとして、バビロンの一件を話し出す。

エレミア■新下229■

古代イスラエルの代表的預言者の一人。その預言の多くは『エレミヤ書』に残されている。前650年ころ、ユダ王国の首都エルサレムの近郊アナトテのレビ人祭司の子として生まれ育つ。エレミヤは前626年に預言者として使命に目覚めた。彼の預言は、その後におこる、前597年のバビロニアによる第一回捕囚に及んだため、彼は迫害と孤独に陥った。前586年第二回捕囚直前、審きから救いへの神の意思の変更を受けとめ、新しい契約へと結晶した。その後エジプト逃亡の一団によってエジプトへ連れ去られ、まもなく死んだとされる。

イスラエルの民が、敵対していたエジプトと、さらには龍信仰をもつフェニキアと提携したことに怒ったヤハウェは、罪を与えた上で信仰を取り戻すような策を練ったと虹人は推測する。神の力を示すには預言が最も効果をあげるため、ヤハウェは、エレミアを選ぶとその口を通してイスラエルの滅亡を告げた。ヤハウェは、エレミアに、主と名乗ったあと、空を飛ぶ「焼けた鍋」を見せた。虹人はこれを、UFOと考え、エレミアは最初にUFOを見せられたから、神が存在すると信じたと語る。

エロヒム■新下252■

旧約聖書で「神」表す一般名詞として2250回用いられる。ヘブライ語のエール(神)の複数形で、大部分はヤハウェの代りに、この「一(いつ)なる神」を示すのに使われる。

虹人は「ブトー」という名を聞いて、ヤハウェ以外の神の呼称はエロヒムとケムルビ程度だったはずだと、首を捻った。

役の行者■竜下63■

生没年不詳。七世紀末に大和国の葛城山を中心に活動した呪術者。役小角(えんのおづぬ)、役君(えんのきみ)などとも呼ばれる。後に修験道の開祖として尊崇される。『続日本紀』によると、小角は、鬼神を使役して水をくませ、薪を集めさせるなどし、その命令に従わなければ呪術によって縛るという神通力の持主であった。平安時代中期以降、役小角は説話の中で役行者と呼ばれ、修験道と深く結びつけられるようになった。悪鬼を従え、天を飛ぶという役行者は、日本で最も強力な呪術者として広く知られ、さまざまな伝説を生んでいる。

虹人は、役の行者に角があり、彼が空を飛び雷電を駆使したことから、角を持つ存在と空を飛ぶことは必ずワンセットであると説く。龍も牛も角があり、鬼にも角がある。昔から角は魔人の象徴であるともに知恵を表す象徴として存在していると言う。

閻魔大王■竜上284■

冥府の王。死後の世界の支配者として、生前の善悪の行に従って死者に裁きをあたえるとされる。インドに起源するとされる冥界の主ヤマ王の信仰伝承が仏典を通して中国に伝えられたもので、勧善懲悪、因果応報の唱導に利用されたものである。このため、本地は地蔵菩薩であるという信仰が生まれ、死者救済を願うために信仰されるようになった。また、中国土着の冥界観念と習合し、魏晋南北朝時代には、中国土着の冥府の支配者である太(泰)山府君と同化する。日本には、仏教とともに入り、恐ろしい形相で罪ある死者を呵責する冥府の王である反面、地蔵菩薩と習合して信仰対象にもなった。

西欧の悪魔の大王に相当するのが、閻魔大王である。しかし、閻魔は、中国や東南アジア、日本では邪悪と言うより、悪者を成敗する神として恐れられ、尊敬さえ集めている。西欧とアジアでは、同一の神に対して考え方に差異がある。これは神々の対立がそのまま宗教に反映したと、虹人は考えている。

エンリル■新上112・新下219■

シュメールの大気・嵐の神。天の神アンと地の神キの子。その聖都ニップルがシュメール都市同盟の祭儀の中心となるに及んで、シュメールとアッカドの神々の王とみなされるようになった。最高神としてセム人にベール(「主」の意)と呼ばれて崇拝される。シュメールには王権は都市から都市へ移行するという考え方があったが、天上の王権も同様に考えられた。たとえばウル第三王朝時代はウルの主神ナンナ(シン)が天上における王権=エンリル権を行使した。この王権の付与者がエンリルであった。後にバビロニアの主神マルドゥクにとって代わられる。

シャルケヌは虹人のテントに地図を持ち込んで、どこからやってきたのか訊ねた。天を指差す虹人を見て神だと思い、初めにアン、次にエンリルかと訊いた。

虹人は、ハンムラビとマルドゥクがエンリルに対してクーデターを起こしたことを話し、エンリルは騙したバビロニアを壊滅させるために、騙っていた龍一族の名を捨て、ヤハウェと名乗ってイスラエルの民の前に姿を現わしたと語った。

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オアネス■竜下150・175・新上126・144・210・新下21■

シュメールに文明を与えた神。頭が魚で、体は人間の形。シュメールの人々に言葉や都市の建築技術を教え、夜になると海に戻っていったという

オアネスは海から上がって来て、シュメールの人々に知恵を授けた。言葉や建設技術の他に、灌漑と農業技術も含まれていた。楔形文字の粘土板には、播いた種の八十倍もの麦の収穫があったという記録もある。虹人は、この一点だけでも、地球の文化はエイリアンが先導したものだと答えがでるという。

シュメール文明を建設したオアネスは、聖書の世界の神々によって、最も忌み嫌われた邪教の支配者バアルであり、モヘンジョ・ダロに棲みついたクベーラであると虹人は推測する。

縄文時代の日本に向かう船の中で、虹人は「オアネス・・・・・・というのは、あなたたちのことなんでしょう?」と質すと、イシュタルは「そうです。私たちは海から来た」と答えた。

牡牛■竜下58・59■

聖獣としての牛はしばしば牡牛であり、これはその強い力と湾曲した角(三日月と同形)ゆえにとくに意味を持つのであるとされる。

農耕にまつわる祭儀や神話と牛とのかかわりは、紀元前二千年後半、東地中海のカナンの地に栄えたウガリト王国の神話に登場するバアルとアナトの物語の中にみられる。父神エールは牡牛である。その子バアルは兄のモトによって殺される。しかしバアルは処女アナトによって見いだされ、それと交わることによって生きかえる。大地はそれとともによみがえるのである。この物語で、バアルは若い牡牛、アナトは牝牛として表現されている。牡牛と牝牛の交わりが男神と女神との交わりに、そして死せる牡牛の再生が春の大地の再生と重なっている。

インドでは、牛の神聖性はヒンドゥー教において古くから認められる。今も牛は神聖な家畜とされ、耕作や運搬用に使役されることはあっても殺して食用にすることは許されていない。

古代中国では牛は「太牢(たいろう)」として神に対する供犠に用いられ、後世でも牛の頭部を供物とする風習があった。華北で見られるのは通常の牛であるが、華南、華中には水牛が多い。水牛は水に潜る習性をもつため河川、湖沼にすむ水の霊物と考えられ、雷神や水神とのかかわりで登場する。

日本では、菅原道真を祭る天神社において、牛が神使として尊崇されている。また、太秦(うずまさ)の広隆寺の伽藍神である大酒(おおさけ)神社には牛祭という奇祭がある。大僻(おおさけ)明神は秦氏の祖神とされるが、その祭礼である牛祭において、僧侶が異形の面をつけて摩多羅神(まだらじん)となり、牛に乗って境内を一巡する。さらに、八坂神社の祭神で須佐之男命と合祀される牛頭天王(ごずてんのう)も牛の化身とされる。

虹人は、ヒンドゥー教を信ずる人々にとって牡牛は絶対の存在であるが、『リグ・ヴェーダ』には、牡牛が神に昇格する神話は一切なく、いきなり牡牛なす神として出現してくるという。中国にも牛頭天王と呼ばれる神がいて、これが日本に移入されて須佐之男命と合祀された。聖書の神々もまた、牡牛の一族である。モーゼがシナイ山にこもっている時に、神はモーゼに、「私に似せた偶像を拵えてイスラエルの民が拝んでいる、その偶像を破壊せよ」と命ずる。イスラエルの民が神に似せて拵えた偶像とは、金色に輝く子牛の像だった。

牡牛系の神は常に山から出現する。モーゼを指導した神や、須佐之男命がそうであり、シヴァ神も、ヒマラヤに暮らしていた。海から上がってきた龍と、山から降りて来た牡牛は、もともとは同一の神であったが、その対立がそのまま人類に持ち込まれたと虹人は推測する。

大川原■竜上192■

青森県黒石市に近い村落の名。火流しという祭りが六百年以上続いている。八月十六日の夜に、村落の中央を流れている川の上流から、藁で拵えた巨大な船に火をつけて流す。古記録によれば、後醍醐天皇と諏訪の武将香坂高宗の鎮魂が目的ではじめられたという。八月十六日は後醍醐天皇の命日である。

虹人は、津軽と長野の奇妙な繋がりの一つとして説明する。

大河原■竜上193■

長野県の伊那谷の麓の地名。南北朝時代、南朝方の武将・香坂高宗の支配地で、城跡や、高宗の墓がある。後醍醐天皇の皇子、宗良親王が匿われていたと思われる御所の跡が残っている。

津軽の大川原の火流しの由来を記したの古記録は完全に史実と合致することから、大川原の人々は六百年以上も前に長野から逃げのびた諏訪一族の末裔であると虹人はいう。

大国主命■竜上44 223 249■

日本神話の神。葦原中国(あしはらのなかつくに)の国作りを行い、国土を高天原の神に国譲りした。『古事記』では須佐之男命の六世の孫、『日本書紀』では、素戔鳴尊の子とある。大国主命の名義は大いなる国主の意で、天津神の主神たる天照大神に対して国津神の頭領たる位置をあらわす。大国主には、大己貴命(おおなむち)、葦原醜男(あしはらのしこお)、八千矛神(やちほこのかみ)、顕国玉神(うつしくにたまのかみ)などの別名がある。これはこの神が多くの神格の集成・統合として成った事情にもとづいている。

虹人は、大国主命の息子のアジスキタカヒコネ神と建御名方神が龍神であることから、大国主命は龍の一族であると考える。大国主命は、因幡の白兎、少彦名神などのエイリアンに選ばれ、エイリアンと手を結んで、出雲支配をなし遂げた。しかしその後、牡牛一族である天孫族に国譲りを迫られ、大国主命は、牢獄として建てられた出雲大社に幽閉されたと推測する。

王子神社■竜上261■

本来の名は、玉子(たまこ)神社。速玉之男命(はやたまのおのみこと)を祀る。『日本書紀』の一書に、黄泉の国で、伊奘冉尊(いざなみのみこと)の姿をみた伊奘諾尊(いざなぎのみこと)が帰る際に吐いた唾から生まれた神とある。

虹人は、出雲のタクシー運転手の渡部に、船通山の麓に玉子神社という奇妙な名前の神社があることを教えられる。その祭神が速玉之男命であることを聞き、キラキラと輝いて空を飛ぶUFOを人々が神の吐いた唾と見るのは突飛な想像ではないと考える。まして別名が速い玉であることから、東は、須佐之男命が天降った山に、そのような神社が残されているのは偶然とは思えないと言う。

太田■竜下209■

南波の部下。アンカラのホテル、グランド・アンカラで優紀を監視していた時に、エレベーターの中で老人に変装したルイジに喉を切られ殺害された。

大己貴(おおなむち)■竜上53■

大国主命の別称。(大国主命参照

大穴持(おおなむち)■竜下272■

大国主命の別称。(大国主命参照

大村幸弘■竜下204■

『鉄を生み出した帝国』を著したヒッタイト学者。一九四六年、岩手県に生まれる。早稲田大学文学部西洋史学科卒業後、アンカラ大学文学部ヒッタイト学科に留学。修士課程修了後、発掘調査に従事。現在中近東文化センター主任研究員。

大山咋命(おおやまくいのみこと)■竜上53■

日本神話の神の名。『古事記』によれば、須佐之男命の子・大年神が、天知迦流美豆比売(あめちかるみずひめ)を娶って生まれた子。大山咋神は日枝の山と松尾に坐す、鳴鏑(なりかぶら)をもつ神といわれる。鳴鏑とは、矢の先端につける発音用具で、木、鹿角、牛角、青銅などでかぶら蕪の形につくり、中空にして周囲に数個の小孔をあけたもの。矢につけて発射すると気孔から風がはいって鳴る。

大山咋神が座す日枝の山とは比叡山のことで、現在滋賀県大津市坂本に鎮座する山王総本宮日吉(ひよし)大社のことである。全国の日吉(枝)(ひえ)社約3800余社の総本社で、日吉(ひえ)社とか山王権現ともよばれる。創建は、崇神天皇七年中尾山に大山咋神を祀ったのを初めとし、後に大和の大三輪の大己貴神(おおなむちのかみ)(大国主命の別名)を勧請した。また、松尾とは、山城松尾山のことで、現在は京都市西京区に鎮座する松尾大社のことである。松尾大社は、全国1200社余りの松尾神社の総本山である。大山咋神は、上古、松尾分土山大杉谷にまつられていたが、701年(大宝一)秦忌寸都理(はたのいみきとり)が宗像の神である市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を勧請し、以後その子孫が両神をまつることとなった。平安京遷都以後は賀茂社とならび帝都の守護神とあがめられた。大山咋神は、賀茂系の氏神とされるが、これは、玉依毘売命が持ち帰った丹塗の矢が鳴鏑の矢と同じといわれ、賀茂別雷神の父神とされるためである。

虹人と東、加藤の三人は、日吉神社の裏山から、津軽開発の山に入ろうとする。日吉神社には玉依毘売命の夫である大山咋神と大己貴神(おおなむちのかみ)が祀られていた。

大湯ストーンサークル■竜上83■

秋田県鹿角市十和田大湯にある縄文時代後期の遺跡。環状列石は二ヵ所あり、東のものを野中堂、西のものを万座とよぶ。ともに多数の小規模の組石遺構が二重の同心円状に配列されたもので、外帯の径は45〜50m、内帯の径は10〜15mある。環状列石を構成する組石遺構のなかでは、大きな立石を中心に放射状に石をならべた「日時計」とよばれるものが有名で、野中堂と万座に一基ずつある。

津軽の斜陽館の虹人の部屋で、「十和田文化圏」について、虹人が蓉に説明する。

緒方連一郎■竜上10■

アクト・ナインのライター。三十二歳。虹人と何年もコンビで仕事をやっている。ドキュメンタリー専門のライターの割には想像力が逞しい。喧嘩は不得意で、車力村で津軽開発の作業員に絡まれたときは笑ってごまかし、「ペンしか持たない男だから」と言った。(『龍の伝承』参照)

お釈迦様の墓■竜上84■

津軽の五所川原にある、釈迦のものといわれる墓。

「十和田文化圏」の説明の際に、虹人が口にする。

オズコナーク■竜下192■

カッパドキアにある村。この村の地下に発見された最大規模の都市には六万人の住居が可能だといわれている。

アンカラのホテル、グランド・アンカラで、虹人はカッパドキアが龍の謎を解く手掛かりになるような気がすると語る。

オースチン■竜下35■

虹人たちがインドで乗ったインド国産車のアンバサダーは、昔のオースチンに似た車だった。

於瀬堂■竜上43■

神明宮の江戸時代以前の名称。安倍神社ともいわれた。(安倍神社参照)

恐山■竜上249■

青森県北東部、下北半島北部に位置する円錐形の火山と外輪山の総称。下北半島一円では恐山は死者の霊魂が集まる山とされ、死霊・祖霊信仰を核とする他界観念に地蔵信仰が習合して一大霊場を形成している。恐山の夏参りは、死者供養に中心がおかれ、いたこの口寄せなども行われる。

虹人は、出雲大社の本殿の周囲をあるきながら、「まるで死の世界だ」と感じる。これは、恐山の三途の河原と呼ばれる場所で抱いた印象と同じであった。

小角■竜下63■

役の行者の名。頭に角が生えていたことから、小角と言う別名をもつ。(役の行者参照)

オデッサ■竜下9■

ブラジルの逃亡機関。マローン財団の先々代の当主が密接な関係があると囁かれた。

乙姫■新上22■

浦島太郎が訪れた龍宮に住む美しい姫の名。元来は姉の姫=兄姫(えひめ)に対する妹の姫=弟姫(おとひめ)を指す呼称。

アララト山で乗り込んだ龍の中で目覚めた時、東が、龍宮城みたいなところに向かっているのかもしれないと言い、「乙姫ならともかく、タイヤヒラメじゃ願い下げだ」と付け加えると、全員が爆笑した。

鬼神神社■竜上268■

船通山の麓の鳥上にある神社。荒神、つまり須佐之男命が祀られている。

須佐之男命が天降ったとされる船通山の麓には、UFOと深い繋がりがある玉子神社、龍駒の地名、須佐之男命を祀る鬼神神社、手名椎、足名椎神社があり、このことから虹人は、須佐之男命の飛来が事実であると確認する。

おにわふみ■竜上248■

出雲大社の中庭に入るための拝観料。

虹人たちは一人千円を支払って、本殿の周囲を歩いた。

オベリスク■竜上176■

古代エジプトの太陽神の象徴の一つ。ピラミッド形の先端をもつ先細の一本石の角柱で、基台石をもつ。最大の例は高さ約30m。もともとは、太陽神の天地創造の場とされた原初の丘をかたどったものであり、毎朝太陽の最初の光がその先端に宿るとされた。

諏訪大社上社で虹人は、御柱に似たものとして、エジプトのオベリスクを挙げる。

オベロイ・グランド■竜下42■

カルカッタ一の高級ホテル。虹人たちは、オベロイ・グランドに次ぐフェアローン・ホテルに宿泊した。

オホヤマツミ神■竜上217■

大山津見神。記紀神話に登場する山の神。『古事記』によれば、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の神生みのときに生まれた。広く山をつかさどる神で、古くから山岳修験の信仰が篤い。また、鉱山の守護のために全国に分霊(わけみたま)が勧請されている。この神が、稲妻として示現したことから雷神の性格を持つともいわれる。大山津見神は、天孫・邇邇芸命(ににぎのみこと)の妻である木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)や、ヤマタノオロチ伝説に登場する足名椎(あしなずち)、手名椎(てなずち)の父である。

出雲行を前に、虹人は、宗像の屋敷で、ヤマタノオロチ伝説の独自の解釈を語る。

思金の神■竜上123■

紀・思兼神。記紀神話に登場する神の名。思慮を兼ねそなえ、事を議(はか)ることを役目とする神の意。天の岩屋戸の神話、国譲り神話で、困難な局面を打破する様々な策をめぐらす。この神は高皇産霊尊(たかみむすひののこと)の子とされるが、両神が父子とされているのは、思金神のおもんぱかりの背後に、高皇産霊の存在が働いていることを意味するものであるとされる。

『真説・古事記』では、思金神はコンピューターのことであるとする。

御柱■新下58■

諏訪大社の式年造営御柱大祭、俗に御柱祭(おんばしらまつり)といわれる特殊神事で、神殿の四隅に立てられる大木のこと。諏訪大社は上社の前宮と本宮、下社の春宮と秋宮のあわせて四宮からなり、それぞれの社殿四隅に山中から氏子が引き出してきた巨大な樅の自然木を合計十六本立てる。上社は八ヶ岳の社有御小屋(おこや)林から、下社は東俣国有林から引き出される。

諏訪大社上社の鳥居を潜った東は、右手に聳え立つ巨大な白木の柱を認めた。間近で見上げると柱の先は見えず、15m近くもある。虹人は、これが有名な諏訪の御柱だと説明する。

虹人は、柱の先端が尖っていること、木の皮を全部剥ぎ取り木肌を露出させて柱を真っ白に輝かせたことから、御柱をロケットであると考えている。人々はロケットから地上に降り立ったエイリアンを神と呼び、同時に彼らが乗ってきたロケットをも神であると認識した。そして、ロケットを白木の柱で表現し、それで神を柱と数えはじめたと考察する。

御柱祭■竜上174■

正確には式年造営御柱大祭といい、俗称、御柱祭。寅年、申年の四月より五月にかけて行われる。諏訪大社の特殊神事中最大のもので、御柱の曳建(ひきた)てと宝殿の造営を行なう。中世には、宝殿や鳥居など一切の建造物を建て直していたが、 現在では宝殿と御柱だけが造営される。その起源は坂上田村麻呂が蝦夷征伐の途中、同社に祈願し、その報賽(ほうさい)のため造営したのに始まると伝えられるが、この祭儀はさらに古いと考えられる。その意義についても古来から諸説あり、神霊降臨の依代(よりしろ)説、四至の聖地標示説、社殿造営代用説などが有力である。御柱の伐採にはその年の一月に厳重な儀式が行われ、山出し、曳き出し、里曳き、冠落しには諏訪地方の全氏子が動員され、木遣りの競演などもあってにぎわう。長野県内のこのほかの神社でも御柱祭を執り行うところが多い。

諏訪大社上社で虹人は、御柱祭について東たちに説明する。

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