ま    み    む    め    も 
 あ行    か行    さ行    た行    な行    は行    ま行    や行    ら行    わ行   参考文献 
 AI『竜の柩』  

マザー・テレサ■竜下37■

1910-97。カトリック修道女。カルカッタのみならず全世界の貧しい人々への奉仕に生涯を捧げた。

カーリーという魔女信仰で、今も血なまぐさい儀式が行われているカーリーガート寺院の同じ境内の中に、マザー・テレサの開いた救済病院があるというんだから、インド人の気持ちが分からなくなると、虹人は南波に話した。

マシンガン■竜111・新上27・48■

モヘンジョ・ダロに先行する東に南波は、マシンガンなら支えられる体力さえあれば腕は関係ない。接近戦にさえならなければ威嚇になると言った。東は「味方を射たなけりゃ、お勧めできるってわけだ」と苦笑した。

龍の出口には、ソフィアのマシンガンが転がっていた。アッカドの兵士に囲まれた際、東は松葉杖の代わりにして武器であることを隠した。

マタタビ■新上98■

神にとっての富とは、人間にとってのマタタビのようなものだと、虹人は説明した。

松尾寺■竜下174■

(松尾神社)

松尾神社の社号を持つ神社は全国に数多くあるが、その本源は、京都市西京区にある松尾大社(まつのおたいしゃ)である。大山咋(おおやまくい)神と市杵島(いちきしま)姫命を祀る。大山咋神は近江の比叡山と山城松尾山に鎮座し、いずれも鳴鏑(なりかぶら)の神といわれ、山城では上古、松尾分土山大杉谷に祀られていた。市杵島姫命は宗像の神である。松尾大社は、701年(大宝1)秦忌寸(はたのいみき)都理(とり)が現在の地に勧請し、平安京遷都以後は賀茂社とならび守護神とあがめられた。宮司はごく最近まで秦氏が世襲した。

毘沙門信仰を持ち込んだのは秦氏で、松尾寺は毘沙門と関係があると、虹人は言った。

マックレオド■竜下60■

イギリス人。1875年に来日し、『日本古代史の縮図』という研究報告の中で、日本とユダヤ人が同じ種族であると説いた。

シュメール人の用いていた楔形文字が古代日本にあると書かれてあると、虹人はシュメールと日本との関係について述べた。

待乳山聖天(まつちやましょうでん)■竜下37■

インド神話のガネーシャが仏教に取り入れられ、大聖自在歓喜天と呼ばれた。日本では性神の面が強く表出し、双身の勧喜天像は、象頭人身の男女が立ったまま抱擁しているものである。民間信仰として栄え、浅草の待乳山聖天は現代も信仰の拠点の一つである。

カルカッタの空港からホテルに向かうタクシーの中で、ガネーシャを飾った派手なトラックを見て、虹人はガネーシャが浅草の待乳山聖天であることを説明する。

松本清張■竜上240■

推理小説作家。『砂の器』の作者。(亀嵩参照)

マヌ■竜下50■

インド神話。『インドラの歌』に出てくる人間の祖先。

マハーカーラ■竜下84■

シヴァの別名。「マハー」は偉大なる、大きいという意味で、「カーラ」は黒、暗黒、死を意味し、中国ではこれを「大黒」と訳した。(大黒天参照)

マハーバーラタ■竜下36■

古代インドの叙事詩。前十世紀ころ成立。ガネーシャは『マハーバーラタ』の口述筆記者であるとの伝承がある。

マヒシャ■竜下44■

インド神話のアスラの一人。マヒシャが眷属を率い、神々に勝利すると、神々の怒りの光からドゥルガーが生まれた。ドゥルガーは、あらゆる男神たちから武器を贈られて、水牛の姿に化けたマヒシャを殺した。

目(ま)一つ鬼■竜上275■

『出雲風土記』に記されている大原郡阿用(あよ)の郷の名称起源に出てくる鬼。

同じイメージの洞窟壁画は世界各地にあり、デニケンは宇宙服のヘルメットだと看破した。遮光器土偶も二つの目が繋がっていると虹人は思った。(阿用の郷参照)

マヤ■竜上41・新下77■

中央アメリカ、ユカタン半島からグアテマラ、エルサルバドルの太平洋岸までの地域に展開したメソアメリカの文化の一つ。オルメカ文化やサポテカ文化から継承し発展させた独特の文字体系、天文暦数、宗教体系、そしてマヤ自身の発明による持送り式アーチ工法による建築などを特徴とする。

何も残っていない福島城跡を見て、観光客が来ても面白くないだろうという純に、虹人が現実の風景に騙されているだけだと説明した。東は、マヤ文明だって、たまたま遺跡が発見されたから高度な文明が存在したと確認できるが、誰あんな山奥に人が暮らしていたなんて信じやしないと納得した。

迷ケ平(まよいがたい)■竜上86・新下33■

青森県と秋田県県境の、十和田湖近くの高原。山根キクは迷ヶ平の美しさに感動して、『光は東方より』の中でこれをエデンの園であるとした。迷ケ平には十和利山という三角形の山があって、『竹内文書』によるとこの麓に華麗な都が栄えその一帯は天国と呼ばれていたという。山根女子は天国との連想や、この地が世界の文明の中心であって、キリストまでが愛した高原だという意味で、迷ケ平をエデンの園と呼んだ。

虹人は十和田文化圏の説明の際に、迷ヶ平について触れた。

縄文時代の日本を訪れた虹人は、迷ヶ平は龍一族が建設した都であるから、エデンの園ではありえないと笑った。迷ヶ平に着陸した虹人たちは、そこでミトジたちと出会った。

マリ遺跡■新上257■

シリア東部、ユーフラテス川中流域の西岸にある遺跡。現代名はテル・ハリリ。1933年一個の彫刻を偶然に発見したことをきっかけとして、発掘が行われ、この遺跡がシュメール王名表の大洪水後十番目の王権の所在地と記されているマリであり、アッカド人が居住していたことがわかった。

マリ遺跡から出土したイシュタル像の奇妙な道具は、アッシェル遺跡から発掘されたものと一致し、これがイシュタルの特徴を表わすものだと分かった。(壺を持った女神参照)

マルト神■竜下57・87■

インド神話の暴風神。『リグ・ヴェーダ』において、インドラはマルト神群を従えて、アーリヤ人の敵である悪龍ヴリトラを殺す。

虹人は、インドラと共にヴリトラ退治に加わったルドラ神やマルト神が、光り輝いた姿で空を縦横無尽に駆け巡る金属の若者と描写されることから、龍一族を抹殺するために活躍したUFOと考え、エゼキエルが書き残した神の描写との共通性を指摘した。

マルドゥク■竜上284・新下221・237■

バビロンの主神。マルドゥクとは「太陽神ウトゥの子牛」という意味であるという説がある。神話『エヌマ・エリシュ』では、龍である女神ティアマトを討ち、その遺体を二分して天地を創ったとされる。

虹人は、龍一族の神が形成したシュメール文化を、天国の神たちが軍隊を派遣して滅ぼし、新たに神の息がかかったバビロニア文化を形成した証拠として、バビロニア神話の一番最初がマルドゥクの龍退治で始められることを挙げた。

マルドゥクは、もともとエンリルよりも下級の神だが、ハンムラビはマルドゥクをエンリルよりも格式の高い神であると宣言しクーデターを起こした。ハンムラビがマルドゥクにそそのかされたという見方も可能だと虹人は考えた。(ハンムラビ参照)

マローン財団■竜上319・竜下8■

表向きはベネチアガラスで財を成しているが、戦前はイタリアでも有数のナチスの協力者だった。逃亡機関のオデッサとも密接な関係があるという噂がある。

卍■新下74■

文様としての万字の歴史は古く、三千年紀のメソポタミアのスーサ出土の彩陶をはじめ、ギリシア、ローマ、インド、中国など古代文明の栄えた各地域で見つかっている。万字文は古くは太陽が光を放つ状態をかたどったものとも考えられているが、時に運動のシンボルでもあった。

虹人は、卍は渦を巻いている銀河系を表わすという。

マンナ■竜上282■

マナ。出エジプトの際、神が食料不足の人々に与えた小さなパンに由来する。今でも聖体拝受の儀式に使われる。

東は「エビセンのように丸い煎餅」と、神をも恐れぬ比喩を用いた。

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御毛沼命(みけぬのみこと)■竜上124・127■

『日本書紀』では三毛入野命(みけいりのみこと)。鵜葺草葺不合(うがやふきあえず)命と玉依毘売(たまよりひめ)の三番目の子。『古事記』では波の穂を踏んで常世国に渡ったとされる。

山田久延彦氏は『真説・古事記』のなかで、常世の国が天つ神の本拠地である地球外の小惑星であり、波の穂は人工造山であるピラミッドという仮説を立てた。山田氏はこの仮説の実証のために、須佐之男命が天降った山を捜し出そうとし、「東海出雲説」のもとに東海や長野を探る。その結果、長野県の皆上山の麓に、御毛沼命(みけぬのみこと)の母である玉依毘売命の神社があり、山頂には同じく波の穂を踏んで常世国に渡ったとされる少名毘古那神を祀る熊野出速雄神社があった。これが、山田氏が、皆上山を日本のピラミッドと見なす根拠である。

御輿■新上89■

黄金で包まれた聖櫃の四隅には、ケルビムが飾られ、箱の底には、持ち運ぶための棒を通す輪もつけられていた。この形は、日ユ同祖説によれば、日本の御輿の原型だという。

4000年前のシュメールで虹人たちが見た牡牛の神の水槽は、鹿角の指摘通り、まさしく聖櫃であった。虹人は神輿の原型だと言いながら箱を睨んだ。

ミコのアト■竜上85■

キリストの墓のある戸来村の沢口家は、『ミコのアト』と呼ばれている。御子の末裔とも解釈できる。

三崎山遺跡■新下47■

3500年前の山形の三崎山遺跡から青銅の刀が出土している。

未知との遭遇■新上161■

1977年公開された、スティーブン・スピルバーグ監督のSF映画。

ニプルのジッグラトのプールに落ちた牡牛の神を見て、虹人たちは、『未知との遭遇』に出てくる小人タイプのエイリアンの姿だと思った。

水戸黄門■竜下195■

東が大学時代、語学に関してとった評判。成績が全部、「可ツ、可ツ、可ツ」

ミトジ■新下60■

縄文時代、十和利山麓の村のリーダー。カミナの父。

ミトラ■竜下53■

インド神話の契約の神。ミタンニ・ヒッタイト条約文に、インドラ・バルナ・ナーサティヤ(=アシュヴィン)とともに名があげられていて、前14世紀に小アジアにその名が伝わっていたことがわかる。ミトラに対応するのがゾロアスター教のミスラである。

皆神山■竜上83・105・119・143■

長野県松代盆地の中央に聳える、周囲4.5km、底辺の長さ1.45km、標高679mの山。この山が注目されたのは、1965年8月から約3年間続いた松代群発地震で、有感地震の数は1970年まで六万回を数えた。初期の震源地がほとんど皆神山の真下3〜5kmで、火山活動と直接の関係は認められない。皆神山には、第二次大戦末期に建設された大本営の地下壕があり、一部は気象庁の地震観測所として利用されている。通産省の地質調査所の調査では、皆神山の中心部で若干重力が少ないことが解っている。皆神山の地下には縦3km、横1.6km、深さ400mの楕円形空間が存在する、という説があり、そのため皆神山の中心部は大きく陥没しているとも言われている。 また、別の地質調査では、水源、水脈が存在しないことと、強固な岩盤がなく、もろい岩石や土砂で構成されていることが解っている。

昭和59年に『サンデー毎日』が行った「大追跡日本のピラミッド」によって、ピラミッドではないかと一挙に知名度を高めた。皆神山の麓に玉依毘売神社があることを根拠として、山田久延彦氏が『真説・古事記』で東海出雲説を展開し、皆神山を超古代に反重力工法によって造られた人工のピラミッドだとした。

虹人は、古文献に皆神山の伝承が残っていないことから、ピラミッド説に関しては半々と考えている。

皆神山の中腹には横穴式古墳があり、突き当りの天井岩が斜め下に繋がるように45度も傾斜している。週刊誌の調査の際に、石組みの奥にタバコの煙が吸い込まれ、岩の奥に道があるのではないかと騒がれたが、定常振動法という探査では空洞や巨石はないと結論された。

大正初期に『天照大御神』の墓石が発見されて、皆神山を中心にして『高天が原』があったと騒がれた時に、この古墳が天照大神の岩戸隠れをした洞窟ではないかと言われたことがある。皆神山の名前も、岩戸隠れの際に神々が集まって来たためと説明されている。

源為憲(ためのり)■竜上244■

?-1011 970年、後の太政大臣藤原為光の長子誠信のために『口遊(くちずさみ)』を書いた。(口遊参照)

ミノア文明■竜下125■

クレタ島に栄えたエーゲ文明を代表する文明。クレタ文明、またはミノス文明ともいう。ミノア文明第一の遺跡であるクノッソスの宮殿には、牛頭人身の怪物ミノタウロスが、ダイダロスの造った迷宮(ラビュリントス)に閉じ込められていたという伝説がある。

ハラッパーを調査したカニンガムは、インダス文字が刻まれた印章を発掘しながら、メソポタミアやミノア文明の出土品に似ていたため、後世の伝来品だと決めつけてしまった。

宮崎神社■竜上128■

(宮崎神宮)宮崎県宮崎市神宮に鎮座。神日本磐余彦(かんやまといわれひこ)天皇を主神とし、相殿(あいどの)神として鵜葺草葺不合(うがやふきあえず)尊および玉依毘売(たまよりひめ)命をまつる。建磐竜(たけいわたつ)命(阿蘇神社の祭神)が、神武天皇の奠都した跡にその神霊を鎮祭したという。

玉依毘売が祀られているから皆神山がピラミッドだと言われても納得できないと言う南波に、虹人は玉依毘売が祀られている神社として、賀茂神社、宮崎神社、羽黒山の系列神社を挙げ、ポピュラーな神様ではあるが、全ては合祀で、主神にしているのは皆神山の麓にある玉依毘売神社だけだと話した。

宮下文書■新下93■

秦の始皇帝の命を受けて日本に不老長寿の仙薬を求めてやってきた徐福が、富士山麓に土着し、阿祖山太神宮に伝わる伝承を『徐福伝』に編纂した。宮下文書とはそれを原本とし、度重なる書写と編集を経たものという。阿祖山太神宮の宮司である宮下家に伝えられていた。多くの伝承が混交しており、文書同士の矛盾も多いが、富士山こそ蓬莱山であり、高天原が富士山麓(富士吉田市一帯)にあったとする主張は全編を貫いている。

虹人は、縄文時代の日本で、牡牛の一族が建設した都の場所を、『宮下文書』に記されている富士吉田市か、上条のストーンサークルがある富士宮市上条と推定した。(徐福参照)

ミヨイ■新上323・新下24■

『竹内文書』に出てくるムー大陸のこと。(ムー大陸参照)

三輪山■竜上191■

奈良県桜井市の北部にある山。標高467m。三輪山は秀麗な円錐形の山で、神体山として信仰された。祭神は大物主神。山腹には奥津、中津、辺津の三つの磐座(いわくら)の巨石群も残る。初期大和政権とのかかわりの深い地域である。

『古事記』崇神天皇の条によると、陶津耳(すえつみみ)命の娘・活玉依(いくたまより)毘売には夜な夜な通う男があってついに身ごもる。父母が怪しんで男の正体をつきとめるために、糸巻きに巻いた糸を針に通して男の衣の裾に刺すように娘に教えた。翌朝見ると糸は戸のかぎ穴から抜け出ており、糸巻きには三巻きだけ残っていた。そこで糸をたよりに訪ねて行くと美和(みわ)山の神の社にたどりついた。かくて男は美和山の神であり、生まれた子はその神の子であることがわかった。そして残った三勾(みわ)の糸にちなんでその地を「ミワ」と名づけた。この子が神(みわ)氏(三輪氏)と鴨氏の祖の意富多多泥古(おおたたねこ)であり、三輪山の神・大物主神を斎(いつ)き祭ったという。この説話は『日本書紀』では箸墓伝説(倭迹迹日百襲(やまとととびももそ)姫命)として記され、男の正体は三輪山の蛇とされる。

三輪山を御神体とする大神(おおみわ)神社は大物主神を祀る。大物主の「モノ」は魔物をいい、「ヌシ」は頭領の意である。崇神天皇の代にこの神のたたりで疫病がはやり人民が飢え苦しんだので、その子孫の意富多多泥古に祭らせたところ、天下は安定したという。魔物の頭目として大和地方で最も土着性の強い国津神の一つである。また、大己貴神の幸魂・奇魂を三輪山に祭ったのが大三輪神であるともいう。

虹人は龍神信仰のメッカとして、津軽、長野、出雲の他に、九州の一部と三輪山を挙げる。

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虫送り■竜上47■

稲などにつく病害虫を追い払うための呪術的行事。虫の霊をわら人形などの形代に移し、これを中心にたいまつをともし、鉦や太鼓を打ち鳴らしてはやしながら耕地をめぐって村境まで送り、まつりすてる。

津軽の神明宮を訪れた虹人たちは、藁で拵えた龍を発見した。車力村役場の男は、一度は虫送りに使うものではないかと言ったが、虹人が虫送りに使った人形は燃やすことと、虫送りに龍はあまり使わないことを指摘すると、十和田様を信じている年寄りが拵えて奉納したものではないかと語った。

結び■新下78■

むすび(産霊)は、万物を生み成長させる神秘で霊妙な力のことをいう。『古事記』には天地初発のときに天(あめの)御中主(みなかぬし)神が現れた後、高御(たかみ)産巣日(むすひ)神・神(かみ)産巣日(むすひ)神のムスビの二神が出現したとある。

虹人は東に、この二神が宇宙に存在する火と水とを結び付けて渦と成した。結びとは、宇宙を意味する言葉だと説いた。

ムー大陸■竜上84・新下260■

太古にインド洋または太平洋海域に存在したとされる大陸。当初レムリアの名で世に広まった。提唱者はイギリスの動物学者スクレーターで、1874年に、レムール(キツネザル)などの奇妙な分布を説明する必要から、マダガスカルと南インド、ならびにマレーシアは元来一つの大陸で五千万年前に水没したという仮説を立て、これをレムールにちなんでレムリア大陸と命名した。神智学者ブラバツキーがアメリカ西海岸の先住民族の古記録にレムリアが言及されていることを理由に、この仮想大陸はインド洋ではなく太平洋に実在したと主張した。イギリスの軍人チャーチワードがインドで古代の碑板を発見し、五万年前に高度な文明を誇ったムーと呼ばれる大陸が太平洋上にあったことを解読して、仮説であったレムリアを古代伝承に従ってムーと呼び直した。彼の著書『失われた大陸ムー』は、中国や日本や太平洋諸島の古記録や神話にムー大陸への言及があることを示し、現在の文明は古代ムーのそれを伝承したものにすぎず、一万二千年前にムーが水没した際ごく少数のムー民族が今のメキシコに移住したと述べている。

『竹内文書』によると、かつて太平洋には高度な文明を誇る大陸が存在し、空を飛んだり、錆びない金属であるヒヒイロガネを使っていた。それが五千年前に沈み、大半の文明が壊滅し、わずかに前線基地のあった日本にだけ細々と文化が継承されたという。日本人はそのムー大陸に君臨していた人々の子孫で、大陸陥没後も世界の中心だったと説く。

イシュタルの先祖であるヒルコは、イザナギの支配から外れてムーを建国した。ヒルメはイザナギの意思を受け継いで、月を接近させてムーを沈めた。

宗像剛蔵■竜上12・204■

「アクト・ナイン」の実質上の経営者。田園調布に七千坪の巨宅を構える長い銀髪の老人。会長や社長として名を連ねる会社だけでも三十を超す。出雲一族に繋がる家系。虹人の父に世話になったといい、虹人の名付け親でもある。鹿角の亡くなった母親が宗像の友人の一人娘だった関係で小さいときの鹿角と何度か会っている。

宗像神社■竜下152■

福岡県宗像郡の辺津(へつ)宮(祭神は市杵島(いちきしま)姫)、大島の中津宮(湍津(たぎつ)姫神)、沖島の沖津宮(田心(たごり)姫神)の三宮を宗像大社という。祭神の三女神は天照大神と須佐之男のうけいの際に生まれたと伝えられている。宗像大社を中心とする宗像信仰は全国的な普及を示し各地に宗像神社が作られた。

宗像剛蔵のルーツである宗像神社は龍神と密接な繋がりがあると虹人は皆に話した。

宗良(むねなが)親王■竜上193■

1311-85 「むねよし」ともよむ。後醍醐天皇の皇子。歌人。天台座主となり父帝の討幕計画に重要な役割を果たしたが、元弘の乱に際して捕らわれ讃岐へ配流。1333年建武新政が成ると天台座主に還任。南北朝対立の後は還俗して宗良と名のる。1344年頃香坂高宗氏の根拠地である長野県伊那郡大河原の地にはいり、同地は東国・北陸道方面の南朝方の中心地となる。しかし1355年桔梗ヶ原の戦で敗れ、残党は長野から脱出して津軽大川原に落ちのびた。(大河原香坂高宗参照)

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目黒のさんま■竜上155■

玉依毘売神社に向かう車の中で、龍の発掘に興味津々でいる東の「発掘は津軽に限る、だ」という言い方に、虹人は苦笑して「目黒のさんまはないぜ」と返した。

メルハバ■竜下194■

トルコの言葉で、「こんにちは」という意味だが、日本語よりも意味が広い。

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モアイ■新上257■

イースター島に残る巨大な石像。

考古学者たちは、宇宙人遺跡だと聞けば、宇宙人が造ったものだと皆が主張していると思い込んでいて、ストーンヘンジもイースター島のモアイも当時の技術で作れるからと言って否定する。なぜ拵えなければいけなかったかという疑問に考古学者たちは答えていないと、虹人は、ラルサの倉庫の中で考古学者を批判した。

モスク■新下58■

イスラム教徒の礼拝所、礼拝堂。

縄文時代の日本を訪れた虹人たちは、ミトジの村の中心に、十本近くの巨大な柱を組み合わせた円筒状の塔が建てられているのを見た。それは紛れもなくロケットを象った龍の柱であり、鹿角はモスクの尖塔という比喩をした。

モーゼ■竜上254・282・竜下61■

前13世紀ごろのイスラエル民族の最大の指導者。神の啓示を受け、エジプト脱出(出エジプト)を指導し、シナイ山で神と契約を結び、民に十誡を与えた。

出雲大社の幸魂・奇魂の銅像を前に、東が聖書にも類似した話がなかったかと虹人に尋ねた。虹人は、繁みの脇に熱のない炎が現れて『私はお前の神だ』と言ったというモーゼのエピソードを話す。

モーゼ十誡石■竜上90■

神がモーゼに示した十か条の誡め。聖書、キリスト教世界の倫理の根幹を成す。十誡とは「わたしはあなたの神、主であって……」を序文として、第一誡「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」、第二誡「あなたは自分のために刻んだ像を造ってはならない」、第三誡「あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」……と続く。

モヘンジョ・ダロ■竜下15・41■

パキスタンにあるインダス文明最大の都市遺跡。

桃太郎■竜下64■

川上から流れてきた桃の中から誕生した童子が犬・猿・キジを供にして鬼退治をする昔話。「水神少童」の日本古来の信仰に由来するものである。桃は古来から霊力があるとされ、依代になった。しかも、流れよる桃から出誕する主人公は、うつぼ舟による漂着伝承と英雄始祖説話に深い関係をもつ。

靄山■竜上31・79・95・100・竜下73■

十三湖近くにある山。麓に洗磯崎神社というアラハバキを祀る重要な神社があり、名前も守りの山という意味の「モリ山」に由来するため、最近ピラミッドではないかと言われ始めた。山頂に臼に似た巨石があり、今でも土地の人々は年に一度山に登って石臼に餅を供える。

髭面の男の荷物にあった古地図の写しには、右上端に三角の小さい山と麓に鳥居が描かれていた。虹人はそれを靄山と考え、方位が90度ずれていると推理した。洞窟は靄山の近くから金木町の方向に十三湖をまわり込む形で延びていた。

森下信子■竜上312・320■

28、9歳。独身。大手デパートのショーウィンド・デザイナー。大きな黒い瞳を持ち、生き生きしている。15年前にアララト山で遭難した兄隆一の死因を疑い、虹人らに同行する。

森下隆一■竜上312■

マローン財団のノアの方舟調査団に加わり、アララト山で事故死したと伝えられた。信子の兄。

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