は    ひ    ふ    へ    ほ 
 あ行    か行    さ行    た行    な行    は行    ま行    や行    ら行    わ行   参考文献 
 AI『竜の柩』  

バアル神■竜下174・新下228■

前三千年紀から前一千年紀のシリア・パレスティナで信仰された稲妻と雷雨の神。しばしば「雲に乗る者」、あるいはハダド(アダド)とも呼ばれ、その名は「主」を意味する。バアル神話では、バアルは牡牛の形をとるが、イスラエル人は「蠅のバアル」と軽蔑して呼び、新約聖書ではベルゼブルと記されて、悪魔の呼称の一つとなっている。

映画『エクソシスト』導入部の遺跡発掘の場面で掘り出された偶像がバアルである。

イスラエルの民がフェニキア人たちと手を結んだことで、ヤハウェが激怒したのは、フェニキア人の信仰する神が、悪魔サタンの原型であるバアルであったことによると虹人は言った。

バイキング■新上41■

8紀末〜11世紀にヨーロッパを襲ったスカンジナビア人の海賊。

羽黒山の系列神社■竜上128■

山形県の羽黒山上に鎮座する出羽神社は、伊校波(いでは)神(倉稲魂(うかのみたま)神)を祀る。羽黒山は古くからこの地方の神奈備(かんなび)で、本来は出羽(いでは)国の国魂神をまつる神社であった。崇峻天皇の子の蜂子皇子(能除太子(のうじょたいし))を開祖とし、境内には蜂子皇子の墓もある。神仏習合により、本地仏を観世音菩薩、垂迹を玉依毘売(たまよりひめ)とする。

玉依毘売命は、日本全国では五百以上の神社の祭神になっているポピュラーな神の一人だと語る。羽黒山系の神社にも祀られていると虹人は言う。

柱■竜上175■

柱を立てる神事で有名なのは、6年ごとに社地の四隅に巨大な柱を立てる諏訪神社の御柱(おんばしら)祭だが、祭場に柱や柱松(柱の上にたいまつを掲げたもの)を立てる神社は、信州や東北地方に多い。

神=柱というのは、柱であることが重要なポイントで、その上先端を尖らせることから、虹人はロケットだと考えた。

秦氏■竜下174■

日本古代に朝鮮半島から渡来した氏族。秦始皇帝の裔を称し、後漢霊帝の子孫という漢氏(あやうじ)と勢力を二分した。『日本書紀』には、応神天皇のとき弓月君(ゆづきのきみ)が百二十県の人夫をひきいて百済から渡来し、雄略天皇のとき全国の秦民を集めて秦酒公(はたのさけのきみ)に賜り、酒公は百八十種勝(ももあまたやそのすぐり)をひきい朝廷に絹を貢進したとある。これらは、東漢(やまとのあや)氏や西文(かわちのふみ)氏に対抗して造作した伝承とされ、百済系というのも疑問とされる。古くから西日本一帯に移住し、機織や農耕に従事していた新羅系の人々が、欽明朝に王権に接近した山背の勢力を伴造として氏族的結合をとげたものとされる。平安京への遷都は、秦氏の基盤への遷都であり、その財政力によって建設されたとの説もある。

虹人は毘沙門の説明の際に、秦氏がユダヤからの帰化人とも言われ、毘沙門信仰と関わりの深い松尾寺の造営にからんでいることを話した。(イサライの井戸松尾寺参照)

八郎潟■竜上48■

秋田県西部、男鹿半島東部の潟湖。

十和田湖に住んでいた龍が、南祖坊という僧侶に敗れ、八郎潟に落ちのびたという伝説がある。

八郎潟北部に位置する山本郡の八竜町の挿崎にある姥御前神社は脚摩乳(あしなづち)をまつり、手摩乳(てなづち)をまつる三倉鼻(琴丘町と八郎潟町の境にある岩山)とともに八郎潟の成立に関する伝説を伝える。

八艘飛び■竜上24■

壇ノ浦の海戦で、源義経が敵将能登守教経に追われて、次々と八艘の船に跳び移り、これをのがれたという伝説。

車力村の役場の男は、義経が鞍馬の山奥で成長したわりには八艘飛びだとか、船の扱いに馴れているのは、安東水軍に加わって訓練を受けていたためではないかと言った。

ハットゥシャ■竜下201■

ヒッタイト帝国の首都。現在名ボアズキョイ。

ハーディンガム■竜上87■

日本をヘブンと表記してある地図を作成した僧侶。(天国参照)

パニ■竜下50■

インド神話の悪魔の名。

馬乳酒■新下94■

中央ユーラシアのステップの遊牧民の乳製品。夏秋に馬乳を日に数回しぼり、革袋または木桶に入れ、既製の少量の馬乳酒やヨーグルトを種とし、発酵するまで攪拌してつくる。やや透明な白濁色で、2〜4%のアルコールを含み、酸味がある。

ミトジの村で振舞われた酒は、犬の乳に潰した葡萄を加えて何日か寝かせ、薄めて飲むものだった。石器時代から飲まれていた馬乳酒と似たものだろうと虹人が説明した。東は大きな鉢で六杯もおかわりし、純に呆れられた。

ハハ■竜下273■

蛇の古語。

ヤマタノオロチを退治したアメノハバキリの剣は、ハハ(=蛇)切りの剣で、アラハバキは「鉄を作る蛇の民」のことだと、虹人は説いた。

ハバキ■竜下74■

ハバキという言葉が、フイゴで空気を送り込む音からきたものだと説く研究者もいると、虹人は龍の文化と鉄の関連を話した。

ハパルキ■竜下267■

ヒッタイトは、製鉄技術と共に、それ以前の原住民が用いていたハッティ語の「鉄」を意味する「ハパルキ」という言葉をも受け継ぎ、鉄のことを「ハパルキ」と呼んでいた。(スタンダード参照)

アラジャホユックのアラと、ハパルキでアラハバキ。龍に鉄を加えれば、謎は面白いように解けていくと虹人は思った。

バビロニア■新上68・新下217■

現在のイラクのバグダード以南の沖積平野を中心としたメソポタミア南部を指す歴史的呼称。しばしば北部のアッシリアと対比され、またバビロニア南部はシュメール、北部はアッカドと呼ばれる。その歴史は、バビロンによるメソポタミア南部の統一をもって始まる。

バビロニア神話■竜上284・326■

バビロニア神話の天地創造神話『エヌマ・エリシュ』は、マルドゥクが、龍である女神ティアマトを討ち、その遺体を二分して天地を創った話で始められる。

天国を追放された神がシュメールに降り立ち、人間に文化を与えた。シュメールは龍信仰だったのは疑いない。天国の神たちはシュメール文化を滅ぼし、新たにバビロニア文化を形成する。その証拠が、マルドゥクの龍退治であると、虹人は考えた。

また、ノアの方舟の基になった話が「ギルガメシュ叙事詩」として、バビロニア神話に含まれている。

バビロンの空中庭園■新上121■

ネブカドネザル二世の宮殿(前6世紀前半)には、世界の七不思議として有名な「空中庭園」が造営されていたことが知られている。これは宮殿の屋上、あるいはそれに相当する高みに造られたテラス式の庭園と思われ、おそらくその規模と、ユーフラテス川を水源とした揚水技術が驚異の的となったのであろうと考えられている。

虹人はニプルのジッグラトの四層に積み上げられた各層の屋上部分に樹木が植えられているのを見て、まさしくバビロンの空中庭園に近いと思った。

バビロン幽囚■新下238■

前586年、ユダはバビロニアのネブカドネザル二世の率いる軍隊によって征服され、エルサレム全市が破壊されて炎上、人々はバビロニアの地に連れ去られた。

ヤハウェはイスラエルの民の信仰心を取り戻すため、マルドゥクと偽ってネブカドナザル二世にイスラエルを滅ぼさせ、イスラエルの民たちを捕虜にしてバビロンに連れて行くように命じた。捕虜が到着すると、ネブカドネザルには連絡を断ち、イスラエルの民に接近した。そして預言どおり、70年後にバビロニアを滅ぼし、信仰を回復したのだと、虹人は語った。

ハブ■竜下273■

ハハとは、蛇のことで、それが変化して沖縄ではハブと呼ばれる。

バベルの塔■新下217■

世界七不思議の一つに数えられるバビロンのジッグラト。シュメール人が着工し、前7世紀ネブカドネザル二世の時にようやく完成した。一辺と高さが各約90m、階段ピラミッド状で、第6層目の上に神殿があったと推定されている。『旧約聖書』「創世記」によると、世界のの言葉がまだ一つだったころ、人類は天に達する塔を作ろうとした。ヤハウェはその思い上がりを憎み、言語を乱して、建築を中止させたという。

バビロニア帝国についてどんなことを知っているかと虹人に訪ねられた東は、バベルの塔と答えた。

ハムサ鳥■竜下・新上71■

インド神話の三神一体を表す話の中で、リンガの果てを見届けようと、ブラフマーはハムサ鳥に姿を変えて空へ向かった。

速玉之男命(はやたまのおのみこと)■竜上261■

『日本書紀』の一書にみられる神、イザナギが死んだイザナミを追ってやってきて、「必ず離縁しよう」と誓った。その誓約を固めるために唾を吐いた時に生じたのが速玉之男命であるという。唾液の誓約力が速く玉の光のごとき霊力をもつ男性という意味である。

船通山の麓にある玉子神社の祭神は不明だが、他の王子神社は速玉之男命を祀るから同じはずだとタクシーの運転手の渡辺は言った。熊野速玉神社の祭神はイザナギ・イザナミの子と言われる熊野速玉大神であり、本来は熊野大社と深い繋がりがあったという。虹人はそれを聞いて、熊野神社なら龍一族の神であり、別名が速い玉だとなれば、唾の形はUFOかも知れないという考えを皆に告げた。

早池峰山■竜上96■

岩手県のほぼ中央部、北上高地南部にある山。標高1914m。山頂には巨岩が露出する。

古代のピラミッドと想像されている。

ハラッパー■竜下15・41・124■

パキスタンにあるインダス文明都市期を代表する都市遺跡。19世紀に鉄道のバラスト代りにここの焼煉瓦が多く乱掘され、市街地の状況は明らかでない。

ハラッパーは、暴君として名高いハラ・パーラ王の城の廃墟と考えられており、一番最初に遺跡を調査したカニンガムもその説を採用したため、何十年となく忘れ去られてしまた。インダス文字が刻まれた印章を発見しながら、8世紀の伝来品だと決めつめてしまったのである。

ハラ・パーラ■竜下124■

暴君として名高い王。苛酷政策の他に初夜権の要求などの伝説が残されている。ハラッパーは当初、ハラ・パーラ王の城の廃墟と考えられていた。

ハリー・クリシュナ■竜下39■

ヒンドゥー教の神。ヴィシュヌ神の化身の一人で、ラーマ王子とともにインドの民衆にこよなく愛され続けてきた、悪魔退治の英雄神である。

針の山■新下135■

四種の副地獄の一つの鋒刃(ほうじん)のこと。剣の上を歩かされ、剣状の葉に身を貫かれ、剣の刺の密生する木にのぼらされるもの。

鎌倉時代あたりから黄泉の国イコール地獄という概念が出来上がった。針の山や血の池が本当にあると思わないから、それが災いして黄泉の国も想像の産物だと片付けられてしまうと、虹人は言った。

パールヴァティー■竜下36■

シヴァの妃。「山の娘」の意。ヒマラヤの娘とされる。また、ウマー、ガウリー、ドゥルガーなどとも呼ばれ、血なまぐさい狂暴な姿をとるときは、カーリーと呼ばれる。軍神スカンダ(韋駄天)と象面のガネーシャ(聖天)は、シヴァとパールヴァティーの息子とされる。

ハレー彗星■新下275■

約75周年で出現し、出現を予期できる唯一の大彗星。前240年(泰の始皇帝7年)に現れた大彗星が、もっとも古い確かな記録だと考えられている。

タイムマシンの時間設定のため、虹人はイシュタルにハレー彗星の接近した年度を教えた。

搬送車■竜上10■

八人乗りのアクトナインの車。横腹に『アクトナイン』と大書してある。

バンダヴァ■竜下162■

『マハーバータラ』に出てくる、英雄アスワタマンの敵。

パンティストッキング■竜下31■

インドに向かった純の膨らんだショルダーには、百円ライターと安物のボールペン、パンティストッキングがギューギュー詰まっていた。

ハンナハンナ■竜下222■

シュメールの女神ニン・トゥにあたる、ヒッタイトの神。人類の創造神。嵐の神テシュプの妻、豊穣神テリピヌの母。ある時突然地上からテリピヌが姿を消し、地上では草木は枯れ、人間にも動物にも子どもができなくなり、穀物も実らなくなった。困惑した嵐神テシュプは妻であるハンナハンナに相談すると、彼女は何千匹もの蜂を呼び寄せ、テリピヌを見つけ出すように命じた。まもなく蜂たちは、地下の隠れ家で眠っているテリピヌを見つけ出し針で刺して起こした。(テリピヌ参照)

ハンムラビ■新下218■

バビロン第一王朝第6代の王。在位、前1792―前1750年。ハンムラビ法典を制定。

虹人は、牡牛の一族が龍一族を追って、中近東からインド、中国へと侵攻を始め、メソポタミアを留守にしている隙を狙って、ハンムラビがラルサやウルの町を攻略したと考えた。ハンムラビはマルドゥクと組んで神の力関係をすり替えてしまった。マルドゥクはエンリルとは比較にならない下級の神だったが、エンリル神の地位をマルドゥクが継承したと宣言したのだ。神々の間に話し合いがつき、マルドゥクとハンムラビのクーデターは成功した。ハンムラビは支配力をさらに強固にし、ハンムラビ法典は、神と並んだという彼の勝利の象徴でもあったと虹人は考えた。

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比叡山形式■竜上52■

山王(日吉)鳥居、合掌鳥居とも言う。笠木の上に合掌形の破風がついているもの。滋賀県の日吉大社のものが代表的。

津軽の十三湖の北にある日吉神社を訪れた東は、比叡山形式の鳥居を見て、初めて見たと面白がった。

日吉(ひえ)神社■竜上20・52■

十三湖の北方にある、安東氏が信仰していた神社。大山咋(おおやまくい)命と大己貴を祀る。比叡山形式の鳥居を有する。

虹人たちは加藤の運転する車で日吉神社に向かった。小型乗用車がなんとか通れる狭い道で、辿り着くまでに何度か路肩から落ちそうになった。日吉神社の境内は奥に真っ直ぐに伸びた鳥居の列のところだけ道があり、あとは全部太い杉がびっしりと生い茂っていた。虹人たちが訪れたのは朝の十時前だというのに、杉が光を遮って境内は薄暗く、鳥の声さえ聞こえてこなかった。

安東一族が信仰していた日吉神社に、龍である玉依毘売の夫である大山咋命が祀られていることから、虹人は安東一族こそ龍の一族だと考える。海の神である龍神を安東水軍が信仰するのは自然だと東に説明した。

津軽開発が立ち入り禁止にしている山に、虹人、東、加藤の三人はこの日吉神社の裏山から向かった。

東哉期■竜上10・61■

「アクト・ナイン」のカメラマン。三十そこそこなのに、蓄えた口髭のせいで老けて見える。180cm以上の巨漢。喧嘩早く、いつも純に救われている。学生が親の脛齧りのくせにカードで飲んでいると必ず嫌味を言う。酒はない金を必死で工面して飲むものだという。蛇は一番の苦手。車力村の食堂で髭面の男と喧嘩しそうになり、その後、日吉神社の裏から入った津軽の山で、髭面の男と対決する。浴衣が嫌い。

光は東方より■竜上86■

昭和12年に山根キクが出版した本。青森県戸来のキリストの墓、石川県能登のモーゼの墓、神奈川県伊勢原のヨセフの墓、長野県松代の釈迦の墓の探索記録。弾圧をよそに版を重ねた。

斜陽館に戻った虹人は、アクトナインの全員に十和田文化圏を説明した。『光は東方より』はキリスト渡来説の決定版ともいえる本だと言った。

髭面の男■竜上26■

津軽開発の連中の中で兄貴分らしい男。車力村の食堂で東に喧嘩を売った。津軽の山の中で東と対決し、東の一本背負いで、したたかに背中を岩にぶつけて肋骨を折った。テントの中に残されていたフィルムを現像すると、遮光器土偶の完全品とともに髭面の男が写っており、「あいつにも笑顔ってのがあるんだ」と東がバカにした。

諏訪では、虹人たちを尾行していたところ、上社本宮の駐車場で東に見つかり、フルスピードで逃げたため、虹人が極度に混乱した。

実は南波の部下。=山崎幸彦。

毘沙門信仰■竜下173■

毘沙門信仰は様々な要素が絡み合っていると虹人は言う。福の神として。それに鉱山の技術者が信仰を広めた鉱山との関係。また北斗信仰と同一視されるように水との繋がり。さらには、松尾寺の造営に絡んだ秦氏との関係など、非常に複雑である。

毘沙門天■竜下83・173■

サンスクリット名バイシュラバナを写したもので多聞天とも訳す。古代インド神話中のクベーラが仏教にとり入れられた。四天王の一尊として北方をつかさどり、また財宝富貴をも守るといわれる。

毘沙門天は、龍一族の指導者であるのに、牡牛一族の神にも含まれてしまったので、双方の記憶や伝説が入り交じって複雑になってしまったと虹人は言った。聖書世界の神々によって最も忌み嫌われた邪教の支配者バアルが、シュメール文明を建設したオアネスであり、モヘンジョ・ダロに棲みついたクベーラだと説明した。

ビッグバン■竜下196■

宇宙のはじめの大爆発をいう。宇宙が、今から約150億年前に起こった大爆発によって生まれたとする宇宙起源説。遠方の銀河ほど大きな速度でわれわれの銀河系から遠ざかっていることから、現在宇宙が膨張していることがわかっている。その速度は百万光年離れた銀河に対して約15km/sである。この事実から、宇宙は過去にさかのぼればさかのぼるほど高密度であり、約150〜200億年前には密度が無限に高かったと考えられる。こうして爆発的に開闢した宇宙は、その後は膨張速度をしだいに減じながら現在に至っていると考えられている。

ビッグバンを宇宙の起源として最初に提唱したのは、ロシア生れのアメリカ人物理学者、G.ガモフであり、1946年のことである。しかし『東日流外三郡誌』の『太古代絵巻』の宇宙の誕生を描いた部分はまさしくビッグ・バンであり、この時代にこのような宇宙観が存在したのかどうかという記述の新しさはともかく、この説を長崎でオランダ人レオポルド・ボナパルドから、秋田孝季と菅江真澄らが聞いたと書かれていることが疑問視されている。(菅江真澄参照)

ヒッタイト■竜下196■

前1750年ころから前1190年ころまで、アナトリアを中心に勢力を振るったオリエントの強国の一つ。鉄と軽戦車を駆使しながら版図を拡大していったといわれる。

ヒッタイトはモヘンジョ・ダロと時代が重なり、ティグリス・ユーフラテス両河の水源であるアナトリア高原に栄えた。虹人は、ヒッタイトを探れば必ず何かが見えてくると考え、アンカラのアナトリア古代文明博物館を訪れた。アラジャホユック出土の遺跡だけが縄文時代を彷彿させること、宇宙人に似た女人像やコブラのような頭の双子の女人像から、虹人はアラジャホユックに興味を覚えた。

ヒトラー■新上91■

ヒトラーは聖櫃の最終兵器としての可能性を信じ、ナチスはエジプトを熱心に捜し歩いている。(証の聖櫃ナチス参照)

火流し■竜上192■

黒石市近くの大河原という村落で、六百年以上続いている祭り。川の上流から藁で拵えた巨大な船に火をつけて流すもの。後醍醐天皇と諏訪の香坂高宗の鎮魂が目的で始められた。

虹人は、諏訪大社の下社で、長野と津軽の関係を話す。(香坂高宗後醍醐天皇参照)

肥(ひ)の川■竜上126■

『古事記』では、須佐之男は最初に出雲の肥の川の川上に天降ったとされる。『日本書紀』では、簸の川。現在の斐伊川と考えられている。斐伊川は島根県東部を北流し、現在は宍道湖に注ぐが、8世紀には神門の水海に流入していた。鳥髪山は斐伊川の水源である。(鳥髪参照)

山田久延彦は『真説・古事記』の中で、波の穂がピラミッドであると仮説を立て、須佐之男命が最初に天下った肥の川の上流を探したが、ピラミッドらしい山は見つからなかった。

日の丸■新下74■

円の紋章。円は、ムーを象徴する太陽の意味。

ヒノモト■竜上210■

中国の史書で日本国の名称が初めて現れるのは、五代後晋の『旧唐書(くとうじょ)』においてである。945年に完成したこの本の「東夷伝」には「倭国日本伝」となっており、「日本国は倭国の別種なり。其の国日辺に在るを以って、故に日本を以って名と為す。或いは曰ふ、倭国自ら其の名の雅ならざるを悪み、改めて日本と為すと。或いは云ふ、日本は旧(もと)小国、倭国の地を併せたりと」と書かれている。すなわち、倭国と日本国の二種類の国があり、日本国は「日辺」、つまり日の出る東方にあったというのである。この『旧唐書』の冒頭に「倭国は古の倭奴国なり」と記されている所から、倭国は九州を中心として発展した国で、その東方、つまり畿内に日本国があったと考えられる。また、この書では日本が倭国を合併したと書かれているが、この約百年後に完成した『新唐書』の「日本伝」では、「倭の名を悪(にく)み、更(あらた)めて日本と号す。使者自ら言ふ、国日の出づる所に近し、以に名を為すと。或いは云ふ。日本は乃ち小国、倭のあはす所と為る、故に其の号を冒せりと」つまり、倭国が日本を併せたと記され、全く逆になっている。日本は小国であると明記されていること、また後に書かれた方が誤りを訂正したとも考えられることなどから、倭国が日本を併合したと考えるほうが信憑性が強いと考えられる。

谷川健一氏は『白鳥伝説』において、この小国であった日本国を、河内の草香を中心としたヒノモトことであると述べる。ヒノモトは、太陽信仰の原点とみなされ、天磐船に乗って生駒山脈の一峰に降下したという伝承を持つニギハヤヒを信仰の対象としていた。(ニギハヤヒは物部氏の遠祖)。そして、四世紀の初頭邪馬台国の東遷に伴って、長髄彦に代表される蝦夷とともに、物部氏が東を目指したと考えている。(長髄彦参照)

ヒノモトという呼称は奥州にも見られる。「秀吉文書」に小田原征伐が「関東日の本までの置目」であるという言葉が記されていることから、当時奥州地方に対し「日の本」という呼称があったとこは明らかである。また、『諏訪大明神絵詞』に「日の本」「唐子」「渡党」という三種類の蝦夷がいたと記されており、「日の本」と呼ばれる蝦夷が日本列島の東北部にいたことは確かである。『地蔵霊験記』には鎌倉の安藤五郎が夷敵を亡ぼしたため「日の本将軍」と言ったと書かれており、奥州を支配する者が「日の本将軍」と称せられたことを示している。

谷川健一氏は、ヤマト朝廷の東国経営とそれに伴う蝦夷の後退という古代史を背景にして、ヒノモトが河内から大和へ、最後には奥州へと移動して行ったと論じている。

宗像剛蔵は、『日本中央』の碑が刻まれた当時、ニホンとヒノモトという二つの国家に分断されていたと語った。ニホンは征服王朝である日向一族が名乗り、ヒノモトは国を追われた出雲一族が用いていた。ヒとは肥、つまり須佐之男命が最初に天下った出雲の肥の川で、モトは基いであり、本土。つまり国家。ヒノモトとは神の降臨した出雲の肥の川を中心とする国のことであると言う。

ビバリーヒルズコップ2■竜上241■

優紀に似ているというブリジット・ニールセンが、カッコいい悪女を演じた映画。

ヒヒイロガネ■竜上88■

『竹内文書』に記されている、ムー大陸で用いられたという錆びない金属。

百円ライター■竜下30■

インドに向かった純の膨らんだショルダーには、百円ライターと安物のボールペン、パンティストッキングがギューギュー詰まっていた。

日向一族■竜上210■

神武は日向一族を率いて、出雲、畿内の邪馬台国を滅ぼし征服王朝を建てたと、宗像はアクトナインのメンバーに話した。

日向軍■竜上36■

『東日流外三郡誌』では、紀元前3世紀頃、畿内には邪馬台国が勢力を振るっており、そこへ出雲を滅ぼした神武率いる日向軍が侵攻してきたという。

氷河期■新上212■

氷河現象の証拠を広くもつ地質時代が氷河時代である。明らかな氷河時代は、更新世と、石炭紀末から二畳紀初期にかけての時代であるが、一般には二百万年前から一万年前の更新世をさす。

ヨーロッパの氷河期がなぜ突然終わったか、理論上では説明がつかないが、アトランティスが一万一千年前に核爆発によって沈んだのならば、氷河期の終末と南極の海岸線の変化の説明がつくと虹人は話した。

ピラミッド(天地(あめつち)日光被満人(ひひらみど)・旧来身戸・日来満人)■竜上82・91 92 108・新下40■

日本のピラミッドのこと。『竹内文書』では天地日光被満人(あめつちひひらみど)と書く。日本のピラミッドの形態・構造的特徴としては、以下のことが挙げられる。高さは、600から800mで、自然山を部分的に加工したものが多い。参道に巨石群があり、山頂には太陽石、またはその痕跡がある。中腹に天岩戸があることもある。本山の周辺に必ず拝殿の役目を果たす拝殿山が付随し、そこにある鏡岩の方向が東向きである。ご神体として神社の本殿になっていることが多い。

虹人は、古くからピラミッドにさまざまな当て字があるといい、これは、古文献に出ている神代文字を漢字に置き換えたものだから、表記の統一が成されていなくても特に不思議はないと考えている。

イシュタルの船が着陸した迷ヶ平で、南波は十和利山の麓に人工の柱と思われる石を見つける。虹人は、迷ヶ平から眺めると十和利山と戸来岳は一直線上に並んで見え、神社でたとえるなら戸来岳が主殿で、十和利山が拝殿という関係にあるという。そして、日本のピラミッドの場合、本山の周辺に必ず拝殿の役目を果たす山があると語る。

飛龍眠土■竜上106■

虹人は津軽の古地図に記されていた「飛龍眠土」をピラミッドと読んだ。

ピリ・レイス■新上204■

?-1550 十六世紀のオスマン帝国の提督。最古の地図作成者として知られる。南米大陸と南極とが陸続きとして描かれている地図があり、アトランティスの遺産という古地図を模写したという伝説がある。南米大陸と南極は、一万五千年前は陸続きだった。

ビールとソーセージ■竜上26■

虹人の冷蔵庫に入っているもの。

蛭子 ヒルコ■竜下282・新下260■

イザナギ・イザナミの長男。『日本書紀』によれば、女性から先に声をかけたので不具の蛭子が生まれたと説明され、両親は、葦の船に乗せて蛭子を海に流したと記されている。

龍一族のルーツ。両親のイザナギ・イザナミに叛旗を掲げて高天原から地球に降り立ち、ムー帝国を樹立した。=夷。(参照)

ヒルメ■新下255■

アマテラスという名の神格は、いきなり成立したわけではなく、前史がある。アマテラスは『日本書紀』ではオオヒルメノムチともよばれている。折口信夫は、「ヒルメ」は日の妻(め)、すなわち日神に仕える巫女の意で、日の神に感精して神の子の母となり、その子が支配者の地位を確立するにつれ、母自身が日の神に昇格してアマテラスとなったと指摘した。大和岩雄は、日神アマテラスは本来男神であり、その神妻であるヒルメが齋主である。7世紀末に即位した持統天皇も天武の妻としてヒルメであった。このヒルメが天皇になったため、ヒルメを神にしたと推定する。

虹人は、アマテラスの本名であるヒルメを、「昼の女」の意味ではなく、ヒルコに対するものと考えた。ヒルコがイザナギ・イザナミに叛旗を掲げて高天原から地球に降り立ち、ムー帝国を樹立した。ヒルコの力は強大で、かつヒルコを愛していたイザナギはすぐに追討軍を送れなかった。そこに跡を継ぐ娘が誕生した。イザナギがヒルコに似るようにヒルメと命名したのだろうという。ヒルメは、父イザナギの意思を受け継いでムーを滅ぼし、シュメールに戦闘の舞台を移した。

弘前のホテル■竜上21■

虹人たちが津軽にいる間、南波が泊まっていたホテル。手の者は金木町の別の旅館に泊まっていた。

ヒンドゥー教■竜下11■

インド固有の民族宗教の総称。

貧乏性■竜上19■

斜陽館の緒方と虹人の部屋はもとの応接間で、広さと天井の高さには度肝を抜かれた。緒方はバッグを無意識に片隅に置いていたのに気づき、貧乏性が抜けないと笑った。

top

プアビ■新上107■

シュメールで東が救った子供。11、2歳。大きな瞳を持つ可愛い子。ラルサの王子。

風穴■新下104■

溶岩トンネルのことで、直径は最大数mくらいで長さは数km以上のものもある。

青木が原の斜面には風穴が無数に存在しており、そのどれかが地下王宮に続いているのだろうかと、虹人はUFOの窓から眺めた。

フェアローン・ホテル■竜下32■

カルカッタで虹人たちが泊まった西洋式のホテル。

フェニキア人■新上245・新下227■

アルファベットを作った海洋民族。伝統的宗教であるバアルを崇拝した。この信仰は農耕生活に入ったイスラエル農民にも浸透して契約の精神をむしばんだので、ヤハウェに憎まれ、バアルは悪魔サタンの原型となった。

富士山■新下28■

『宮下文書』によると、富士山の裾野に神が君臨した国家があったが、山の噴火で地下に埋もれたという。

富士の人穴■新下97■

御伽草子。源頼家の命を受け、新田四郎忠常が富士の人穴に入り、毒蛇の姿の富士浅間大菩醍に遇う。浅間大菩薩を案内役として、富士の地下に広がる地獄を見て回った。

富士宮市■新下93■

富士宮市上条には、八基以上という、日本で最大規模のストーンサークル群が発見されている。

富士吉田市■新下93■

『宮下文書』によれば、華麗な都が富士吉田市一帯に栄えていたとされる。

福島城址■竜上14・37■

安倍、安東氏の代々の居城跡とみなされている。福島城は十三湖に面した壮大な城で、常時七十隻余りの軍船が駐留する海上交通の要所だったという。今は城跡を示す案内板の周囲に草原が広がっているだけで礎石さえ見えない。『東日流外三郡誌』によれば、当時福島城下には中国人、オランダ人、インド人などの異人館が軒を連ね、数百年の遊女宿、キリスト教の教会まで建設されたという。

複様内宮式■竜上91■

日本のピラミッド頂上の四様式の一つ。酒井勝軍による日本ピラミッドの記述にみられる。日本のピラミッド頂上には、太陽石をストーンサークルが囲む構造がみられるが、複様内宮式とは、太陽石のまわりを取り囲むストーンサークルが、内側が方形、外側が円形と二重になっている様式。葦嶽山山頂の石組みの様式は、この複様内宮式であり、ピラミッドの中では最高の格式であるとされる。

虹人は、津軽の斜陽館の部屋で、日本のピラミッドについて語る。

プシュパカ■竜下172■

『リグ・ヴェーダ』に出てくる城塞都市ランカにあった天を駆ける乗り物。

藤原清衡■竜上20■

1056―1128 奥州藤原氏四代の初代。父は藤原秀郷(ひでさと)の末裔の亘理(わたり)権大夫経清。母は安倍頼良(頼時)の娘(貞任の妹)。

藤原秀栄■竜上20■

藤原秀衡の弟。十三湊に養子に迎えられた。

藤原秀衡■竜上20■

1122―87 奥州藤原氏の三代目。父は藤原基衡。従五位上。鎮守府将軍、陸奥守として、奥羽一円におよぶ支配を確立した。

藤原房前(ふささき)■竜上148■

奈良前期の官人。藤原不比等の第二子で、藤原北家の祖。玉取り伝説に登場する。(玉取り伝説参照)

藤原不比等■竜上148■

659-720 奈良時代初期の重臣。史(ふひと)とも表記。鎌足の次男。太政大臣正一位。(玉取り伝説参照)

ブータン■竜下15■

ヒマラヤ山脈中の王国。正式国名のドゥルック・ユルは「龍の国」の意で、龍を国旗に用いている。

仏陀■竜下14・41■

「悟った者」を意味するサンスクリットのブッダの音訳。一般には、釈迦をさす。

龍をトーテムにしたナーガ一族の出身。

インド神話と出雲神話の構造が瓜二つだと虹人は説いた。征服者は、インドラであり須佐之男。征服された側から誕生する新たな英雄が、仏陀であり大国主命。国譲りが、シヴァであり建御雷神であると述べる。仏陀はヒンドゥー教の神として、大国主命は天孫族として取り込まれた。

武塔■竜上285■

蘇民将来の説話に出てくる神。=須佐之男。旅に出た武塔神が宿を請うたところ、富裕な弟の巨旦(こたん)将来はことわったが、貧しい兄の蘇民将来は宿に泊め歓待したため、茅(ち)の輪の護符を腰につけるように教えられ疾病を免れた。(蘇民将来伝説参照)

ブトー■新下251■

牡牛の神。=須佐之男。イザナギとイザナミの子。ヒルコとヒルメの弟。運命に逆らいたくなる癖があり、いつもイザナギやヒルメに叱られている。ヒルメの政策に度々反するため、信頼されていない。龍と牡牛の和解という、虹人との約束を果たした印に、ブトーは荒神と名乗った。その後、ソミンとコタンの町を滅ぼした時に、ブトーと名乗り、その話が日本に伝わり蘇民将来伝説となった。その後スーサの町を支配化に置き、スーサの王、すなわちスサノオと名乗った。

船岡山■竜上275■

鳥取県大原郡大東町北村にある山。標高140m。『出雲国風土記』の大原郡船岡山の条に、「アハキヘワナサヒコノ命の曳き来居ゑましし船、すなわち此の山是なり。故、船岡と云ふ」とあって、形はまるで巨大なロケットでも埋めたようである。この山の上に船林神社がある。

船林神社■竜上259■

出雲の海潮温泉の近くにある、船岡山の古墳の上に作られた神社。祭神はアハキヘワナサヒコノ命で、加茂町の貴船神社の主祭神でもある。(アハキヘワナサヒコノ命参照)

プラトン■新上206■

古代ギリシアの大哲学者。プラトン晩年の対話編『ティマイオス』と『クリティアス』にアトランティス大陸のことが記されている。

ブラフマー■竜下38■

ヒンドゥー教では、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三神が絶対神として尊敬されている。

ブリジット・ニールセン■竜上241■

スタローンと結婚して別れた女優。『ビバリーヒルズコップ2』でカッコいい悪女を演じた。

東は、優紀がブリジット・ニールセンとそっくりだと言った。

プール■竜下140■

モヘンジョ・ダロにある構造物。丘の中腹にある縦12m、横7m、深さ3mの四角い穴。側面と底は焼き煉瓦で組まれ、水洩れを防ぐために天然のアスファルトが塗られている。

このプールは、沐浴場、ワニの飼育場などの仮説が出されているが、都市計画の中心にプールがあることから、虹人はエイリアンが棲んでいたと考えた。

プレアデス星団■新上274■

おうし座にある散開星団。日本名すばる。距離408光年と、地球から近い。すばるの語意は「統(す)べる星」の意味で、六星が糸で統べたように集まったものとするのが定説となっている。すばるは日本だけでなく、古代の中国やギリシア、現在の南方の島々でも農耕の星として重んじられている。

ラルサの王は、プレアデス星団を神の生まれた星だと言った。

文室綿麻呂■竜上209■

765-823 平安前期の官僚。出羽権守などを経て、兵部大輔となった。810年薬子の変の際に、初め平城上皇に従ったため嵯峨天皇側に禁固されていたが、綿麻呂が武勇の人であるとする坂上田村麻呂の願い出により許され参議となり、軍に参加した。翌年征夷将軍となり、蝦夷の拠点を攻撃して帰京し、従三位となった。その後も陸奥出羽按察使を兼任し、中納言まで昇った。『日本中央』の碑は征夷大将軍となった文室綿麻呂が刻んだと考えられている。

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ペガサス■新上265■

ギリシア神話の有翼の天馬。英雄ペルセウスに殺された女怪メドゥーサの血から生まれた。

イシュタルと違って、翼を取り外したペガサスや天使は存在しないと虹人は言った。

ペードゥ■竜下53■

インド神話の『アシュヴィン双神の歌』に出てくる王。

蛇■竜下66■

ソフィアのチームの大男の仇名。名前はない。パスポートには一応ニコルとある。

戸来岳■竜上96・新下32■

迷ヶ平に聳える山。十和田文化圏の象徴として、昔から古代のピラミッドではないかと言われてきた。今も麓に神社があって山を神体にしている。

ペルセポリス■竜下260■

ペルシア帝国の都。ダレイオス一世、クセルクセス一世の二代にわたって造営された。遺跡は巨大な柱が林立している。

ヘレフォード寺院■竜上86■

イギリスのヘレフォード寺院に保管されている中世の地図は、方位が90度傾いて東が真上にあり、世界の真上に位置する日本をヘブンと記載している。(天国参照)

弁慶の笈■竜上24■

江刺市の多聞寺には、義経主従が北行途中に投宿し、謝礼として笈を残したと伝えられている。大東町の観福寺には、義経の家来・亀井六郎重清のものといわれる、笈がある。

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ボアズキョイ■竜下201■

古代名ハットゥシャ。ヒッタイト帝国の中心都市。トルコ中央部、アンカラの東約200kmにある。ここから一挙に五千枚以上もの楔形文字を刻んだ粘土板が発掘され、幻と思われていたヒッタイト帝国の存在が明らかにされた。

鳳凰■新上134■

中国の伝説上の霊鳥。四霊の一つに数えられ、四神の内の朱雀にその性格が受けつがれている。

虹人は、四霊について、想像上の動物で神と関係があるという。鳳凰は五色に輝いて空を巡る鳥であるので、龍がロケットであるなら、鳳凰は翼を持ったスペースシャトルタイプであるという。

庖犠(ほうぎ)■竜上189。竜下159■

中国の創世説話にみえる神。伏羲(ふくぎ)とも呼ぶ。中国最古の王朝「夏」の三皇の一人。蛇身人首。ジョカを妻とし、その二神像は、手に測量の器である規矩(きく)(規矩準縄)を持ち、下体は竜の相交わる形をとる。大洪水の時この二人だけが助かり、人類の祖となった。庖犠は葫蘆(ころ)(ひさご)の意で、箱舟型の洪水説話を祖型とするものと言われている。

北陸の旅館■竜上19■

虹人と緒方が以前泊まった旅館。シーズン・オフで客がいないので自慢の百二十畳の大広間に寝かされたが、まるで氷原に置かれたような怖さと淋しさを感じた。

ホゼア■新下232■

ヤハウェはエレミアと同じ内容の預言を同時に何人にも伝えた。ホゼアも同様の預言をイスラエルに広めている。

ポセイドン■新上209■

ギリシア神話の海神。クロノスとレアの子。ゼウスの弟。

水神として、また雷を伴うことから龍神と似た性質の神であるが、一方で牡牛と同一視され、プラトンもポセイドンに牡牛が捧げられていたと記す。右手にクベーラと同じ三叉戟を持つ。

布袋様■竜下276■

中国、唐末五代の僧。七福神の一人。福徳円満の姿から福神に加えられた。

虹人は、鍛冶職人が自分たちに似た神だから目一箇神を信仰したという説に対し、形が似ているという理由だけで神様を選ぶんなら、肥満の人間は布袋様を信心しなければいけないと、現代人の傲慢さを指摘した。

ホテル・シェラトン■竜下117■

カラチにある、鹿角が泊まったホテル。

ホテル・デデマン■竜下204■

アンカラにある、鹿角が泊まったホテル。

ホテル・マウリャ・シェラトン■竜下119■

インドのデリーにある、ソフィ、ルイジ、蛇が泊まったホテル。

ボールペン■竜下31■

インドに向かった純の膨らんだショルダーには、百円ライターと安物のボールペン、パンティストッキングがギューギュー詰まっていた。

ポロシャツ■竜上50■

斜陽館の喫茶室で初めて出会った加藤は、ポロシャツ姿の虹人と東の姿を一瞥するなり「その服装では無理です」と言った。

ポンペイ■竜上38■

イタリアの古代都市。79年8月24日ベスビオ山の大爆発により火山礫(れき)、火山灰に埋もれた。死者は約二千人。都市としての機能を失い、ついに二度と復興されなかった。

十三湖のほとりで、十三湊の大津波の惨状を聞いた東は、「まさに日本のポンペイだな」と溜め息を吐いた。

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