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法華堂

光村の壮絶な最期と
泰村の言葉が印象的な
三浦氏滅亡の場面です。

頼朝の持仏堂が発展したもので、頼朝の一周忌後に法華堂と呼ばれるようになった。

北条泰時は二階堂基行の初七日の法事をここ大倉法華堂で行い、その際に、これ以後評定衆以下公事(幕政)に携わったものが死去した場合には、追善に励むべきことを評定で決めた。
この例から、大倉法華堂は評定衆以下の武士達の幕府主催の追善の場であったと考えられる。
頼朝を核とする鎌倉武士たちの精神的な紐帯の場となっていたのであり、死を覚悟した泰村が頼朝のもとに参ろうとした気持ちは特殊なものではなかった。

法華堂は明治の廃仏毀釈で廃寺となり、新たに白旗神社が建てられ現在に至っている。

頼朝の墓は、頼朝と深い縁故があったと称する島津氏によって江戸時代に建てられたもので、総高186cmの層塔である。